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大きなアラビア半島の東側、
ペルシャ湾の海に、ぴょこっと
カタール半島が突き出ています。

カタールは、ここにあります。

西には、サウジアラビア。
海を越えた向こうには、イラン。
この二つの国の間に、小さな国々が
いくつか点在しているのです。
そのうちの一つ。

ペルシャ湾の奥から順に行きましょう。
湾の一番奥には、イラクに隣接して
「湾岸戦争」の舞台となったクウェート
そこから湾の出口に向かって
バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦。

…日本から遠いこともあって、
地理的に掴みづらいところです。
私も、地図を見ながら書いてみました。

本記事では、このカタール
首都ドーハの歴史と地理を取り上げます。

一言で言えば、砂漠の国、です。
ラクダがたくさんいます。
夏には40度越え、体感で50度!
まあ、暑い国です。
11月でも最高気温は38度、
平均気温は30度近くになります。
(サッカーをやるのも大変…)

首都のドーハは、1825年に
設立された港町。
カタール半島の東側にあります。

元の名前は「アル・ビーダ」、
アラビア語で「大きな木」、
この地にあった大木に由来するそうです。

昔は真珠の養殖や漁業を行う、
どこにでもある小さな町でした。

それが今では、人口約240万人の
堂々たる大都市
へと発展!
2022年にはサッカーのワールドカップ開催。
カタールの人口の約八割が、
このドーハに住んでいる。

…なぜ、こんなに発展したのでしょうか?

やはり、石油と天然ガス、でしょうね。
1949年に、カタールは石油の輸出を開始。
「オイル・マネー」が流れ込み
裕福な国へと変貌しました。
お金のあるところに人も流れ込みますから
人口も増えていった。

元々はこのカタール、
イギリスの実効支配下にある国でした。

1930年代、英蘭仏米の共同国益会社が
この地で石油を採掘し始め、
1940年にはカタール西岸に
大きな油田が発見されます。
ただ、第二次世界大戦のため
1949年まで石油輸出は行われなかった。

ただ、そのイギリスも、
1968年にはエジプトのスエズ運河以東から
撤退する、と宣言します。
これを受けて(すったもんだはありましたが)
1971年、カタールは独立したのです。

以来、三人の「首長」が、
この国の舵取りを行ってきました。

◆六代目首長、ハリーファ。1972年~。
◆七代目首長、ハマド。1995年~。
◆八代目首長、タミーム。2013年~。

ハリーファは、父であるアフマド首長が
外遊している時に、無血クーデターを
起こして実権を握ります。
ハマドは、父であるハリーファが
外遊している時に、無血クーデターを
起こして実権を握ります。

…まるで戦国時代の武田晴信(信玄)が
自分の父親を国外追放
したみたい…。
(マニアックなネタですみません)
しかも「歴史は繰り返す」かのごとく、
ハリーファも息子に追い出されている…。

ただし、現首長であるタミームは、
ハマドから平和裏に実権を譲られています。

このタミーム首長、1980年生まれ
若いんです。
そう、2022年現在で42歳!
「世界で最も若い君主」なのです。

かつてこのドーハには、
「世界一退屈な都市」という
不名誉な呼び名がありました。
これは、ハリーファの
閉鎖的な政策の影響で、宿泊施設すら
ほとんど無かったのが原因。

しかし今は、違います。

父親から実権を奪ったハマドは
様々な娯楽施設を建設しました。
そのハマドから実権を譲られた
タミーム首長も、都市開発に熱心です。
その延長で、首都ドーハでの2022年の
ワールドカップ開催までこぎつけた、

と言えるでしょう。

さて、そんなドーハの観光地と言えば…。

◆スーク・キワーフ
◆ステート・グランド・モスク
◆ザ・パール(パールシティ)

などが、よく挙げられます。

「スーク・キワーフ」。
スークとは、アラビア語で「市場」です。

このスークの中では、
民族衣装用の生地、カーペット、
スカーフ、女性の日常着「アバヤ」、
などの布製品を売る店が立ち並び、
食料品やスパイスも、
鍋や食器などの日用雑貨なども
所狭しと売られています。

もちろん、富豪向けのゴールドスーク、
宝飾品エリアもある。
「ペットスーク」もあります。中には
ファルコンスーク、なんてのもあり、
ここには目隠しされた
ファルコン(ハヤブサ)がずらり!
まさに、アラビアン・ナイトの世界です。

「ステート・グランド・モスク」
イスラームの世界では、
礼拝所であるモスクは欠かせません。
ここは圧倒的に巨大で美しいモスク。

ただし、敬虔な
イスラーム国家であるカタールのため、
宗教施設であるモスク内に入る際には、
細かいルールがあります。

男性と女性が一緒には見学できません。
入口も、男女別々。
男性が見学できるのは、一階。
女性が見学できるのは、二階。

さらに女性は、
カタールの女性の日常服である
「アバヤ」を着用しないと、
入場ができない。もちろん入口で
アバヤのレンタルが可能だそうです。

「ザ・パール(パールシティ)」
打って変わって近代都市です。
セレブのためのエリア。

外貨獲得のために、
国家プロジェクトとして
つくられた人工の島です。
石油が見つかる以前、カタールが
真珠産業が盛んだったことから
名付けられました。

ここはイタリア…?と思うほどの外観!
運河が張り巡らされており、
そこには小舟が行き来しています。
マリーナには豪華なヨット!
五つ星ホテルに、高層ビル、マンション!
世界の大富豪はこういうところで
別荘を持っているのか…と
思うような「夢の島」だそうです。
(もちろん、行ったことはありません)

最後に、まとめましょう。

順調に発展してきたように見える
裕福な国カタールですが、

2017年には「カタール外交危機」という
事件が起こりました。

◎サウジアラビア
◎アラブ首長国連邦
◎バーレーン
◎エジプト
◎イエメン
◎コモロ連合
◎モーリタニア

こうした国々から「国交断絶」という
厳しい措置を受けたのです。
まさに「カタール包囲網」

この背景には、カタールの
イランへの過度な接近を警戒する
諸国の思惑がありました。

…この危機を、カタールは
どうやって乗り越えたのか?

世界貿易機関に「経済制裁は違法だ」
と提訴するとともに、
トルコやイラン、中国と接近して、
国交断絶を言ってきた国々を
牽制していったんです。

これが奏功し、2021年には、
クウェートの首長を仲介役にして、
サウジアラビア、アラブ首長国連邦、
バーレーン、エジプトと国交回復しました。

包囲網を打破するために、
さらにその外の国と手を結んで、
逆包囲網を構築する…。


カタールは、そんなしたたかな、
武田信玄もかくや、というような
外交戦略
を行う国なのです。

さて、サッカーの日本代表チームは、
どんな戦略で、このドーハにおいて
戦っていくのでしょう?
悲劇、奇跡、歓喜がうずまくW杯!
彼らの活躍に、期待しております。

◆地図はこちらから↓

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000369126.pdf

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