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シナリオとは脚本、筋書きとも訳されて、
主に映画やテレビの台本の意味で使われる。
また「政権交代へのシナリオ」のように、
何かの計画を実現するための
過程を想定したもの
、としても使われる。

語源は、ラテン語のscena。
イタリア語風に読めば「シエナ」で、
英語で言えば「シーン(場面)」である。
この「場面」をつなぎあわせた
筋書き、という意味の「シナリオ」が、
徐々に映画やテレビ等での脚本の意味に
なっていったそうだ。

ただし、人生のシナリオ、と考えると、
これほど難しいものもない。
登場人物も起こる事件も、
完全には予測ができないからである。

一昔前の日本なら、
シンプルな「将来のシナリオ」を
描いていた人も多い、と思う。
進学・就職・結婚・定年。
一社専従、終身雇用、単線経路。

人生のシーン(場面)は、
一億総中流の人々にとって
共通の場面となり得ていた。

進学は第一部。レール上で特急ノンストップ。
就職は第二部。金の卵で金太郎飴の採用・昇進。
結婚は第三部。お見合いもまだまだ盛んだった。
定年は第四部。60歳は「余生」への入り口。

今は、そうではない。

ある人に展開されるシーンが、
他の人にも共通して展開されるとは
必ずしも言えなくなってきている。

進学は千差万別。各駅停車も支線も多種多様。
就職は千差万別。職場との関わり方はそれぞれ。
結婚は千差万別。するしないも本人次第。
定年は千差万別。早期退職・転職も当たり前。

この「境目」が、1991年辺りからの
「バブル崩壊」ではないか、とは
よく言われることであるが、

たとえ時代が変わったとて、
人間と言うのは、自分が実際に過ごした
シナリオ、筋書きの呪縛からは
なかなか逃れられないものである。

1991年以前に主演した世代と、
1991年以降に主演している世代との、
「人生のシナリオ観」には、
ものすごい断絶があるように思う。

なのに、まことしやかに
自分のシナリオ観を押し付けてくる
ベテラン俳優からの
「善意のおせっかい」も後を絶たない。

令和時代は「即興劇」のようなものだ。
感染症など予期せぬトラブルを前にして
役者自身が自分の
シナリオ観・演技観を元に
臨機応変に対応していく必要が、ある。

…ここまで書いてきて、自省した。

さらに新しい世代に対して私たちは、
自分たちの人生のシナリオ観を
押しつけてはいないだろうか?

良かれと思って、振り付けを
強要してはいないだろうか?
それは「善意のおせっかい」で
実は嫌がられているのではないだろうか?

繰り返しになるが、
「人間と言うのは、自分が実際に過ごした
シナリオ、筋書きの呪縛からは
なかなか逃れられないもの」なのだ。

人生は、かちっとした氷ではなく、
変幻自在の炎のようなもの。
他人の人生を、無意識のうちに
かき氷にしてはいけない。

知らず知らずに凍っている
自分の心の氷を溶かし、燃やしていく。
まずはしなやかな
「自分なりのシナリオ」をつむいでいく。

それこそが、他人の人生のシナリオを
リスペクトする入口だと思われる。

さて、読者の皆様は、どのような
シナリオを描いていますか?
どんな登場人物を探し、
どのように関わりたいですか?

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