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ライスワークとライフワークとしょうが焼きオンザライス

『ライスワーク』などという言葉がある。
食べるための仕事、言い換えれば
生き抜くための(しょうがなく行う)仕事
というニュアンスがあるという。

これと対照して使われるのが
『ライフワーク』という言葉だ。
人生を通して行う仕事、言い換えれば
充実させるための(楽しく行う)仕事
というニュアンスだという。

理想を言えば、
「自分が楽しめるライスワーク」
「無理せずに食っていけるライフワーク」

を見つけることだろう。
「全く楽しくないライスワーク」
「全く食っていけないライフワーク」
これらは、言葉が生まれた本来の意味には
沿っているかもしれないが
やっていて虚しさを覚えやすい、とも思う。

こんなことを考えていくと、
私はよく「しょうが焼きオンザライス」
思い出す。
思い出しただけで、舌に味が蘇る。

文字通り、豚肉のしょうが焼きを
ライスに乗せただけのシンプルなものだ。
私の好きなメニューの一つ。
肉の旨味がじわっとライスに染みていき、
下手な高級料理よりよっぽどうまい。

しかし、豚肉はあぶらっこい。
醤油(めんつゆでも可)とみりんなどで
甘辛い味付けがされている。
もしこれに、しょうががないと
どうなるだろうか?
ライスは進むけれど、胃にもたれる
(特に私のような中年世代には…)。

「しょうががある」から食べやすいのだ。
ライスワークも、同じだ。
「しょうがない」と自分で感じていては
いくらライスが進んでも、
いつかは胃にもたれるのではないか?

ライフワークはどうだろうか。
「しょうがなく」行うライフワークなど、
あまり考えられない。
好きだからやっている、それが普通だ。
ただ、いくら好きだからと言って、
生のしょうがをそのまま食べるのは
ちょっと辛い。つらいし、からい。

そのライフワークに
どんなに「人生の意味」があったとしても、
熱を通す、豚肉と炒めるなど調理して、
いわば他人にも味わえるようにして、
ライス(食っていくこと)と
からめたほうがいいのではないだろうか。

長寿化はいよいよ進んでいる。
麻の如く乱れたこの乱世、なのに
人間五十年…と『敦盛』を舞った
織田信長の時代より人生は長い。

「しょうが焼きオンザライスワーク」
「調理済みしょうがライフワーク」

そういったものを、見つけていきたい。
私は、その仕込みを、せっせと続けている。

◆『歴史で食っていく』
以前のnote記事です、よければぜひご賞味を↓
https://note.com/hisutojio/n/n79eaf260c7ef

◆『歴史で食っていく2』
こちらもぜひ↓
https://note.com/hisutojio/n/n86824d201d6d

◆自称人事屋の「ジンジャー・エイル」が活躍する
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




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