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自由とは爽快な反面、怖いものでもあります。

「何をすればいいのかわからない」
「やることを誰かに全部決めてほしい」
「自由なんていらないよ」

縛り上げられている時はあれほどに
自由を切望していたのに、

いざ自由を手にすると、戸惑い立ちすくみ
何かにすがって、自らその自由を
手放してしまうこともあり得ます。

1941年、エーリッヒ・フロムという人が
『自由からの逃走』という本を出しました。
ヒトラー率いるナチスに傾斜していく
ドイツ国民の心理と独裁者の心理を
事細かに分析した本です。

(ものすごくはしょって書きますが)
この本によると、独裁者を生み出して
究極の「不自由」を生み出したのは、
まさに大衆の「自由からの逃走の心理」、

言い換えれば
「自分の頭で考え、行動することから
逃げ出したいという心理」
だそうです。
逃げ出した先が、独裁者でした。

ひるがえって、私も自分自身のことを
考えてみますと、
つい「自由からの逃走」をしたくなる
ことがあります。

例えば、リンクトインなどSNSでの投稿です。
本来、SNSでの投稿は自由なもの
(もちろん、他人を傷つけないように、など
運営上の規約はありますが)。

しかし、あまりに「どフリー」だと、
かえって「どんな投稿をすればいいか」
戸惑い立ちすくみ、つい
何かにすがりつきたくなってしまいます。

私の場合は、最初は
「ビジネス特化型SNS」という
「キャッチフレーズ」にすがりつき、
ビジネスに役立つ名言やエピソード的な
ものと思われるものを投稿しました。

次に、他の投稿者の「投稿」にすがりつき、
似たような感じで投稿しました。

次いで、「こうしたらリアクションが増える」
的な「テクニック」にすがりつき、
そのようなフォームで投稿しました。

また「毎日投稿することが大事だ」という
「教え」にすがりつき、
内容より目的よりも、まず投稿、
となってしまったこともあります。

…もちろん最初のうちは、
「お手本」となるものを「真似る」、
すなわち「学ぶ」ということは
大事なことだ、と思います。

しかし、そのうちに気がつきました。
私は投稿の自由さから、
ただ逃げているだけなのではないかと。
まさに「自由(な投稿)からの逃走」。

「守・破・離」の精神、
という言葉があります。
まずは型を学ぶ。しかし
いずれはそこを破り、離れて、
自分なりのやり方を作っていく、

という意味です。

自由からの逃走、という場合には、
自由の反対、
束縛や呪縛を「守・守・守」
していることになりますね。

「破」や「離」が、ありません。
自由の恐怖から、自分を守っているのです。
自由よりも、不自由を選択しているのです。
意識的、あるいは無意識的に。

繰り返しになりますが、
自由とは爽快な反面、怖いものでもあります。

ですが、その怖さを自分の中で増幅させ過ぎず、
守守守な人たちの「こうあるべき」という
声に惑わされ過ぎずに、
(いざとなればミュート・ブロックもありますし)

できるだけ、無理のない範囲で、
もちろん運営規約は守った上で、
自由に、自分なりに投稿したいと思います。

読者の皆さんは、いかがでしょう。
自由から、とんずらしてないですか?


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