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長編小説『凸凹バラ「ストロングリリーフ」ミシェルとランプ』68

パンナが向かった先は、
瀟洒な建物が立ち並ぶ一画である。

勝手知ったる場所かのように、
彼女は最短距離で研究室へと向かった。
彼女のお目当ての「師範」が
そこにいるはずだった。

…ここは、この街のカプサ学校の本部。

パンナは目ざとく学友を見つけて、
声をかけた。
以前に留学していた時から変わらない姿だった。

「クローブ・マンダー!
どや、新しい薬はできたんか?」

マンダー、と呼ばれた男。
こげ茶色のぼさぼさの髪に無精ひげ、
がっしりとした体格である。
三十歳くらいだろうか。
ぱりっとした白衣を着て、
机に向かって熱心に何か書き物をしていた。
パンナの呼びかけに対して、
彼は、顔も上げずに無造作にこう答える。

「ああ、動物での実験も終わって、
もう少しで増産体制に入れる。
これでまた、
病気に悩む人たちを救えるだろうよ」

答えておいて、ようやく気が付いたのか、
顔をひょいと上げた。
にっこりと笑うパンナと目が合うと、
にかっと歯を見せて笑う。

「…おう、誰かと思えば駱駝姫か。
お前、自分の国に
帰ったんじゃなかったっけ?」

「ちょっと野暮用があってな。
取りに戻ったところなんや」

「何か、忘れ物でもしたのか?」

「いや、借り物や。
カプサ学校の誇る『医薬師範』を借りに、な」

ふうん、そうか、と
気もそぞろな生返事をして、
マンダーは再び机の上に目を落とした。
しかし、すぐにまたパンナに向き直る。

「…医薬師範って、もしかして、俺のことか?」

「そやで。なあ、ちょっと顔を貸してんか」

「俺はいま、忙しいんだがな。
校長の許可も、まだ取ってないんだろう?」

「なに、うちの国まで来てもらえば、
それでええんや。すぐやで!」

万里の波濤を越えてきたパンナは、
まるで隣町に行くかのように彼を誘う。
マンダーは当然のように問いかけてくる。

「…で、報酬はいくらなんだ?
ちょっとやそっとの価格では、俺は動かんぞ?」

「我が国が誇る秘蔵のワイン、五本」

ぴたりと書き物の手が止まった。
ゆっくりと顔を上げた。
彼は、酒に目がない。

「乗った。詳細は船の上で聞こう」

無造作にそう言うと、
彼は書き物を止めて鞄に書類を入れて、
すぐにでも出かける用意をし始める。
パンナは早速、彼を連れて
校長の元に向かおうとした。その時である。

「…おい、ちょっと待てよ。
勝手に連れていくんじゃねえよ」

のっそりと一人の男が、
部屋の隅から起き上がってきた。
全く気が付かなかった。
どうやら机の下に潜り込んで、
布団を敷いて寝ていたらしい。

「なんや、あんたもいたんか、タダック!」

ビジェン・タダック。
『治水師範』という水利工事の専門家である。

こちらは中肉中背、マンダーと同じ世代。
口ひげをぴんと伸ばしている以外は、
何の特徴もない顔立ちをしている。

しかし彼を初めて見る者は、
すぐに彼の頭髪から
目が離せなくなるのが常だった。
額から頭頂部に向けて、つるりと髪を剃り上げ、
残りの髪を結い上げている。
奇妙な髪形。故郷の風習の髪型なのだと、
パンナは本人から聞いたことがある。

「マンダーはこう見えて、
大事な仕事をしているんだぞ。
こいつの弟子はたくさんいるから、
いなくなっても研究の進度は
変わらんだろうが、
ほいほい連れ回すんじゃねえよ」

「…ほう、もしかして、
あんたも行きたいんか?
でも確か、ローズシティ連盟に出張に行っとって、
この前、帰ってきたんやろ?
もう行かなくてもええんちゃうか?」

「ふん、相変わらず鋭いな。
ああ、俺もそのつもりだった。
だがな、先日、連盟の顧客がここに来たんだ。
近いうちにもう一度、
国に来てくれないか、と頼まれてな」

連盟の顧客。というと、もしや…!

「ああ、ドグリン・イッケハマル盟王陛下さ。
何でも、ミシェルとかいう女性が、
俺の知識と技術をもう一度使いたいそうなんだ。
詳しいことは彼女に会って
直接聞いてほしい、と言われた。

報酬もはずむ、とな。
あそこは金払いも良かったから、
もう一度行こうとは思っている。
しかし、今度は何をやるのか、よくわからん。
俺の分水工事と灌漑工事は完璧だった。
今さら手直しするところは、
特に無いはずなんだがな…」

パンナは、したり顔でうなずくと、
こう言った。

「ならちょうどええ。
あんたも一緒に行こか。
…大公家の秘蔵のワイン、おごるで?」

タダックも酒に目がないことを、
パンナは留学中に知っている。

こうしてピノグリア大公国の姫君は、
無精ひげの『医薬師範』と、
口ひげと奇妙なまげを持つ『治水師範』、
酒好きの二人を道連れにして、
海路で帰国の途に就いたのであった。

この彼女のとんぼ帰りが、
その後の歴史の展開に大きく関わっていく。

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『凸凹バラ「ストロングリリーフ」
ミシェルとランプ』
作:ヒストジオいなお
絵:中林まどか

◇この物語は、フィクションです。
◇noteにも転載していきます。
◇リアクションやコメントをぜひ!
◇前作『凸凹バラ姉弟
ミシェルとランプ』の続編です。
(全6章のうち、5章まで公開)
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