『僕の願いは、自転車に乗って:ヒスイの2000字チャレンジ⑨』

 見上げると頭上に十一月の紅葉があった。
 六カ月前の五月、僕は彼女とここへ来た。新緑が綺麗なお寺で広い庭ぜんぶが透きとおるように緑色だった。彼女の白い頬に葉陰が落ちると頬まで緑になった。僕はただただ、そのやわらかさに見とれた。

 あれから半年。
 僕は一人でやってきた。
 変えようのない過去のために。
 どうしても変えたい未来のために。
 彼女を取り戻したいために。

 広い庭は静かだ。紅葉があざやかだけれど平日の夕暮れだから人もいない。
 いるのは僕と、白い自転車で庭を走り回っている女の子だけだ。あの子はきっとこの寺の子供だろう。ずいぶん勝手気ままに庭を走り回っている。

 僕は秋の風の匂いを感じていた。冷たくてほんの少し湿っていて無性に泣きたくなる匂いだ。
 イロハモミジの下で眼を閉じていると突然、くしゅんという小さな音が聞こえた。
 僕の隣に女の子がいた。
「はなが、でそう」

 女の子はくしゃみを連発しながら自転車から降りた。僕はあわててバックパックからティッシュを取り出す。女の子はだまって受け取り、ちん! と鼻をかんだ。
 鼻にティッシュを当てたまま僕を見上げる。
「ありがとう。お礼に、自転車に乗せてあげる」
「いいよ」
僕が言うと女の子は、
「乗ったほうがいい。いま、乗るのがだいじ――乗れないの?」
「乗れるよ」
 僕は言い返した。
 せいぜい十歳くらいの子供にバカにされてたまるか――あれ、この女の子、さっきは六歳くらいに見えたんだけどな。僕は小学校の放課後教室のスタッフとして働いているから、子供の年齢はまず間違えないんだけど。

 僕は自転車にまたがった。子供用だと思ったが乗ってみると意外に大きい。
 女の子が顔をあげた。
「おにわ、一周して」
 僕はバックパックを地面に置き、自転車をこぎはじめた。

 頭上で紅葉が揺れる。初夏とはまるで違う乾いた葉。これから冬に向かう木を守るために、みずから落ちていく紅葉。すでに散った赤い葉を踏みながら僕は自転車で庭を回る。
 女の子の声が聞こえた。
「かなえたいこと、言って」
「なに? どういう意味?」
「みんな、願いがあるからここへ来る。願いを預けにくるの。そうでしょ」

 僕は驚いて自転車を止めた。ゴムのタイヤの下できゅっと赤い紅葉が鳴った。
 日が陰っていく。広い寺の庭には僕と女の子。風が渡り、頭上の紅葉がゆれうごく。
 女の子は十三歳くらいになっていた。

「願いなんてないよ」
「悲しい気持ちもつらい痛みもさびしい時間も。ここに置いていけばいい。そういう場所なんだから」
「だめだよ。手放したら全部なくなる。彼女とのことは一分一秒だって大切なんだ」
 僕が言い返すと、彼女は手を差し出した。

「大事だから手放すの。一度だけあたしが預かる。悪いものを取りのぞく。そしてあなたに返すの――さあ手のひらを」
 僕はだまって右手を出した。彼女は僕の手のひらに文字みたいなものを書く。見たこともない文字は手の上でゆっくり立ち上がり、大きくなった。
 文字は天に向かって伸びて枝を張り、緑の葉をつけた。

「この木、六カ月前に彼女と見たよ」
「そうね、おなじもの。でもちがうもの」
 掌の木は枝を広げて緑が濃くなり、やがてかすかにふるえた。葉が黄色くなる。緑があせて赤い色がつく。
「……木の葉が落ちるんだね」
「大事なものは木に残っている。これは春のための支度」
 ぼくは少女を見た。まだ稚いがくっきりとした美貌が浮いている。
 僕の大事な人によく似ている気がした。

「――えり?」
 思わず名を呼ぶと、少女は大人びた声で言った。
「その名か。ではその名を預かろう」
「大事な名です。残してください」
 彼女はとんん、と僕の胸を指で突いた。
「ここにある。本当に大切なものは全部ここにある」

 指で突かれた場所から、ふいに温かいものが流れ込んできた。
 彼女の体温、笑い声、花のにおいがする香水。彼女に関する記憶が入り込み、骨に届いて静かに沈殿した。
 もうどこにも行かない。彼女はずっとここにいる。
 少女はにこりとした。
「帰らねば。自転車を返してもらおうか」

 僕は自転車から降りた。彼女はするりとサドルに座り、軽々とペダルを踏んた。ペダルを踏むたびに彼女は幼くなっていく。十三歳、十二歳、十歳、六歳。
 彼女の自転車にはライオンのマークがついていて、夕日を浴びて金色に光っていた。
 紅葉が降りしきる。
 少女は紅葉の隙間に消えた。僕の体いっぱいにあった寂しみと悲しみも紅葉にまぎれて消えた。
 あとには、彼女と過ごした記憶が残った。笑った記憶・幸せな記憶・彼女を無心に愛した記憶。

 僕は地面の上のバックパックを拾い上げて、ちょっとだけ笑った。
「なんだったのかな」
 わからない。でも僕の願いはここに預けた。痛みも悲しみもさびしさも、ここに預けた。それでいい。
 秋の庭は静かだ。
 あざやかな紅葉が笑うように動いていた。


『K県・K市観光案内より抜粋。
‟五台山・竹林寺。緑ゆたかな寺域は初夏の青葉、秋の紅葉で知られている。
本尊は獅子に乗った文殊菩薩。寺則により秘仏。一般公開はされません』

PJさんによる動画


ーーーーー了ーーーーーー   2081字


はい! 今週の2000字は、皆様お待ちかねのYou and Iさんです。
もうね、ご本人そのものがキュンキュンな人なのですが(笑)、今回はあえて、不思議系で書いてみました。
ヒスイ、You and Iさんに「書いてほしいキーワードや行きたいところはありませんか?」って聞きました。
そうしたら、旅行に行くなら四国って。

ということで今回の舞台はK県のK市なのです(笑)。
さらにこのお話、もうひとり貴重なサポーターがいます。
ろろさん。

今回はどうしても、ライオンマークの自転車に乗る必要がありまして(笑)。
そこで自転車にくわしい、ろろさんに助けを求めました。
そしたらすぐに返事が!
いやね、何でも聞いてみるものなのねえ…(笑) 
だからあの女の子の自転車は、ライオンマークのプジョー製なのです(笑)
なお、本物のプジョー自転車には、ライオンのエンブレムはついていません、悪しからず(笑)

というわけで、今週も無事に「ヒスイの2000字チャレンジ!」新作を公開できました。
もうね、毎週ひやひやもの(笑)。しかしすんごいモチベーションになっています。
ネタを提供してくださったみなさま。お読みくださる皆様のおかげで。
ヒスイ、ここに立っておりますの。


心の底から、大感謝を!
そして来週の予告――――!
聞いて驚いて(笑)。noteがほこる純愛ラバーマン、まつお兄しゃんを召喚いたします!!!

ふふふ。
どうなるかって?

……ヒスイにも、わかんないです(笑)。

とにかく書きますっ(笑)!
というわけで、最後までお読みいただき、ありがとうございます。
来週も、ヒスイががんばりまーす!!

※今回も画像は、hanakokoroさんからお借りしました。
 ヒスイね、もう画像で困ったら、ダラズさんかhanakokoroさんに頼ることにしているのです(笑)。
助かるんです(笑)。 ありがとうございます💛



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