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「このバーには防御魔法がかかっている」#このお店が好きなわけ

その店は、もっさいもっさいバーだった。
どれくらいイケていないかというと
出てくるグラスには、もれなく「○○ビール」とか
「××酒造」とか書いてあり、
販促でもらったんだな、と一発で丸わかり(笑)。

壁にはマスターが大好きなブルーノ・マーズのCDケースがあるかと思えば、すぐとなりには岩崎良美のサイン入りポスターが貼ってある。
で、店内に流れているのは小野リサのボサノバ。

カオス(笑)
なにもかもが、カオスな店だ。

でも私はそこが大好きで
とくに、こころが弱っているときは
もれなく通う、というほどに
気に入っていた。

自分がなぜ、大通りから200mも住宅地に入り込んだところの
ここにバー?? と道行く人すら不思議がる店へ
週に1回通っているのか。
我ながらさっぱりわからなかった(笑)。

いや今も聞かれたら、明確には言えないんだけど。
たぶん。
あの一件が私とバーとマスターの関係を作り上げたのだと思う。

たいしたことじゃない。
キッカケは同人誌だ。
私はそのバーで、同人誌を売っている人と初めて出会ったのだった。


<゜)))彡 <゜)))彡 <゜)))彡

同人誌、というものをご存じでしょうか?
自費でつくる本で、
マンガや小説、詩、俳句、短歌など、ありとあらゆるジャンルがあります。
商業誌の漫画や小説をベースに
自由に書く二次創作というジャンルが盛んです。

自費出版ですが大きなイベントで売られる場合は
刷り部数が300冊にもなるとか。
……すごい。
300冊が売り切れるってすごくね??

ところが、すべての同人誌が売り切れるわけではなく、
残ってしまうことも多いんだそうで……。

「へええ、そうなんだ。大変なんだねえ」

その夜、仕事で大コケして
もう死んだほうがましなんじゃないかというほど
落ち込み切った私は、
初対面の青年が語る「同人誌ストーリー」に
すっかりハマってしまった。

えんえん30分近くも
彼の話を聞いていた。

そういうの、よくあるでしょう?
バーだから、飲みながら
初めての人の話を聞く。
酔っているから、めちゃくちゃおもしろい。
(注:ヒスイは笑い上戸です)

そのときも私はバカウケしていたんだと思う。
だいぶ飲んでたし
4杯目のキティ(赤ワインのジンジャーエール割り)を頼んだタイミングで
彼はすっと背筋を伸ばした。

「それでですね、在庫があるんです」
「うん、なるほどね」
「ここに、あるんです」
「……ほう?」

彼は慣れたかんじで、カウンター下のバックパックから
一冊の薄い本をとりだした。
表紙には、美少女が描いてある。
たぶん、美少女なんだと思う。
眼がデカくてピンクの髪の毛で、ポニーテール。
パースが狂ってんじゃないかと思うほど、
胸がデカい。

まじまじと、みちゃった。
初めてのもんだから(笑)。

そこへ彼が言った。
「どうでしょう。500円です。買ってくれる人を探していまして」
「ほおおおおお!」

酔っぱらっている私は、かなり大きな声で叫んだ。
なるほど。
この30分は営業トークであったわけだ!

いや、今それに気づくなよ、と思うのですが(笑)
気づかなかったもんは、しょうがない(笑)。
で。
考えた。

ここで500円を払うのは簡単だ。
だが私は女だ、美少女に用はない。
さらにいうなら
わずかとはいえ、絵と文章で金をもらっている人間として、
パースの狂いまくった絵に500円を払うというのは
本意ではない。

彼の将来を考えて、ここはあえて
きびしくすべきではないか??
などという諸々が一気に浮かんだわけで。

こうなると余計なことも、心配になる。

「あのね、ひょっとして、だいぶこんなふうに
 自力で売っているの? 知らない人に?」
「はい」
「飲食店とかで?」
「はい。友人にも売りますけど、
初めてのお店にもチャレンジすべきかなって」

ううううっむむむううう。

『あのね、私としては、きみの心意気を非常に買うが
 お客として初めて入った店で、ほかのお客に物を売りつけては
 ならんのだよ。
 常識なのだよ』

と、まだ大学生らしき青年に
言うか言うまいか。
迷っていたらマスターがCDを変えながらサラッと言った。

「あ、じゃあさ、おれが買うから。
 何冊持ってんの? 5冊? ぜんぶ置いていきな」

人間、場の空気が変わる瞬間って
何も言わなくても分かる気がする。
マスターがそう言った時、ふわりと、もっさいもっさいバーの空気が
一気に和らいだのだった。

美少女同人誌、5冊は酒瓶の横に並んだ。
マスターはレジから2500円を取って彼に渡した。

「いやあ、ジブンもね、若いころに小説を書いていたことがあってね。
だからこういうの、他人ごとに思えなくてねえ」
「ありがとうございます!!」

こうして、彼は無事に同人誌を売り、ビールを飲んで帰っていった。


あとで、聞いてみた。
「マスター、むかし小説を書いていたってホント?」
「んなわけねえだろ、おれはロックンロール一本の男だ。字は読まない」

……店でかかってんのは、岩崎良美とボサノバだけどね。

「じゃあ、なんで買ったのよ?」
「ちょっと困ってただろ、ヒスイちゃん。
 おれはね、来てくれたお客さん全員にハッピーになってもらいたいわけ。
 2500円ていどであの子と常連さんの
 楽しい時間が守れたら、安いわけよ。
 
 それにさ、おれが買わなきゃ、あの子は別の店へ行く。
 別のお客と別のマスターが困る。
 そういうの、いやなんだよね」


私はようやく、なぜ自分が、
こんなモッサモサのバーに通い続けているのか、
理由がわかった。

この店は、マスターが作り上げた結界なのだ。
結界に足を踏み入れた人は
しらずしらずのうちに、マスターが放つ最強の防御魔法に
包み込まれている。

この空間で、客がイヤな思いをすることはない。
なぜならマスターがすべての事をみて
困ったことの芽を摘み取るからだ。

良い店とは
客を守る方法を知っている。
あらゆる角度から防御魔法を繰り出し、
客が出ていくまで
やさしく包み込んでくれるものなのだ。
この店にいる限り
客は安心して守られていればいい。



その日、私は5杯めの酒をやめ、
マスターに500円を払って、美少女同人誌を買って帰った。
プロの心遣いを
お守り代わりに持っていたかったからだ。


その美少女同人誌はどうなったかって?

……今も棚にあるよ(笑)。
みるたびに、あの夜の暖かい空気を
思い出す。

マスター、ありがとう。
そして青年。
あれから、適正な同人誌の刷り部数がわかったかな?

最初は
20冊で十分らしいよ?


#このお店が好きなわけ

ヘッダーはUnsplashAditya Vyasが撮影

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