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「出汁をひく。姉といさかう:#大好きな家族の企画に参加+ヒスイの2000字チャレンジ⑫」

 姉というのは、母親の胎内にある一級品を洗いざらい持って生まれてくる。
 だから妹は残り物をかき集め、ようやくこの世におちてくるものだ。
 あたしはずっとそう思っていた。


みどり、あんたの家にはイリコもないのね」
 あたしは体をすくめる。
「イリコはない。粉末ダシはある」
「粉末ダシなんて。ああ、昆布と鰹節はあるのね、じゃあこれで、ダシを引いてちょうだい」
 あたしは黙って姉に従う。
 妹なんて。つまらない。たとえ三十を過ぎても姉には頭が上がらない。

 姉のゆかりにかかると、あたしの部屋は人間がまともに食べるものもない貧民窟だ。
 姉の冷蔵庫はつねに豊かできちんと整理がされ、一流料亭のよう。実際、姉は料理が得意で料理人になりたかったのだ。
 家の都合でなれなかったけれど。しかるべき人と結婚する道しかなかったのだけれど。
 あたしはのろのろと大鍋に湯を沸かし始める。その横でキンピラを作り終えた姉が、手早くキッチンシンクを洗いはじめる。姉はちょっと潔癖症だ。

「――あおいがね」
 と、姉は視線をステンレスのシンクに落としたまま言った。
「葵が広告の絵を作る仕事がしたい、なんていうのよ。何とかデザイナー」
「グラフィックデザイナー? 葵が?」
 こまっちゃうわよ、と言いながら姉はフライパンがさめたのか、手のひらをかざして確かめた。まるで、娘の葵の熱が本物かどうか確かめるように。

「絵の勉強がしたければ短大でもどこへでも行けばいいでしょう。でも本格的な仕事には不安定すぎる職種よね。それにあの子は、家を継ぐ子よ」
 銀色の鍋に湯が沸く。大きめに切った利尻昆布と鰹節を湯の中に放り込む。キッチンタイマーを三分にセットする。
 くつくつと、湯の湧く音だけがキッチンに響いた。
 湯気が立つ。
 あたしと姉の間に湯気が立つ。ゆるく白く、目を凝らしたら水の粒子さえ見えそうなほど、はかない湯気があたしと姉を区切っている。
 姉は、幼い頃から頭が良かった。ピアノでも踊りでも、習い事はぜんぶ華麗にクリアし、小学校から通いはじめた私立学校でも有名な優等生だった。 
 生徒会の役員をやり、運動会でも文化祭でも先頭に立つ人だった。
 数年おくれで同じ学校に入ったあたしには、つねに姉の名前が付いて回った。

高野紫たかのゆかりさんの妹さんですってね』
 入学と同時に、あたしにはニックネームが付いた。『紫さんの妹ちゃん』。あたしはいつも笑っていたが、そのよばれ方が心底きらいだった。
 ”高野紫”は、人の名前ではなかった。
 あるべき姿、めざすべきアイドル、愛されるべき名前としてあたしに襲いかかった。

 学校附属の短大を卒業した時、あたしは就職もせず結婚相手も決めずにイラストレーターの学校へ進むことを選んだ。
 仕事上の別名を手にいれて、フリーランスとして働くことを選んだ。
 なにもかも、“高野紫の妹”以外の命が欲しかったからだ。
 それなのに今でも、あたしは姉にかなわない。

 ピーっとキッチンタイマーが鳴った。
 姉はボウルの上にざるをおき、ダシをす準備をしていた。あたしは黙って熱いダシをボウルにあけた。
 ふわっとダシの香りがただよう。あたしはざるを上げる。金色の液体がボウルの中でたゆたっていた。
 うつくしい、と思った。この透明な質感を絵で描きたい。きっと葵もそう思うんだろう。

「いいじゃない、グラフィックデザイナー。お義兄さんのコネを使えば、広告代理店に入れるでしょ」
「それで、妙な男にでも引っかかったらどうするのよ」
「大手の代理店なら大丈夫よ」

 あんたはね、と姉は初めてあたしを見た。
 ぱりっとアイロンのかかった紺色のエプロンがダシの湿気でほんの少し、しどけなく見えた。
「あんたはいつでもそう。無責任で、自由で。自分のしたいことだけを、足に羽が生えたみたいにやる。あとに残って掃除をする人のことなんて、考えないのよ」
「……無責任だけど、自由じゃないよ」

 姉は答えずに、あたしの手から昆布と鰹節の入ったざるを奪い取った。
 手早く水分を切る。あたしはキッチンペーパーをまな板の上に置いた。
 姉が昆布と鰹節をのせて、まだ湯気が立っている昆布と鰹節を猛スピードできざみはじめた。あたしの手が鍋に調味料を入れていく。
 水、酒、砂糖、酒、みりん、しょうゆ。姉が昆布と鰹節を鍋に放り込む。 
 火がつく。
 あたしは何も言わない。姉も黙っていた。

 やがて酒と醤油の煮立つ香りがキッチン中に広がった。
「翠――葵に、仕事のことを教えてやって。せめて好きな仕事をする時間が、あってもいいでしょう。あの子にも」
「そうだね。あ、そろそろいいんじゃない? 焦げるかもよ、おねえちゃん」
 あたしは佃煮にゴマ油を回しかけた。最後の風味は、これできまる。母の直伝だ。
 火が消される。

「これ、持って帰る? 葵の好物じゃん」
「粗熱がとれたらね」
 そういった姉のエプロンは、熱を吸い込んでくったりとやわらいでいた。


 あたしは、高野翠だ。
 そして。
 高野紫の、妹である。


―――――了ーーーーー2064字

こちらは。ヒスイのnoteともだち、まこぷーさんにならって
江村恵子@終活ワーカー / ゆるふわおしゃべり相談所さんの「#大好きな家族」企画に参加したものです。

まこぷーさんの記事に感銘を受けたヒスイ。
一度は家族のことを書いてみようと思ったのです。

ついでに2000字になったので、最後の2000字ドラマにも滑りこみ。

なんていうのか(笑)
家族のことを書くのはつかれますね(笑)
ぜひアホなヒスイの66億円ゲームで癒されてください(笑)💛

おやすみなさい皆様。

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