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「適温のかなしみは、一方通行」ヒスイの毎週ショートショートnote

世界には『一方通行しかない』ものがある。

いま、俺の目の前をながれてゆくのが、それだ。
つねに移動しつづけ、一瞬たりともとどまっていない。

とどめておきたいと思い、手を伸ばして掴むが、
するりと逃げてしまう。
生きるって、なんて難しいんだろう。

他のやつらは、こんなことを考えもしないらしい。
ただただ、毎日喰い、眠るだけだ。

俺みたいに、真っ白な疑いに包まれて、
切なさで体のどこかがきゅっと掴まれるなんて、ないみたいだ。

そもそも、こんな疑問を持つとは、俺がおかしいのか?
それともヤツラが?

そんなことを考える間にも、
ただ、流れてゆく。
一方通行。

・・・風呂。

「ママ! この動物園のカピバラちゃん、どうしておサルの温泉にはいっているの? カピバラちゃん用のお風呂あるのに」
「そうねえ…おサル風呂は温泉で、源泉かけ流しだから、気持ちいいのよ」
「あ、飼育員さんにぎゅっと引っ張られている。戻るんだね。悲しそうなカピバラちゃん!」

(了 改行含めず402字)

本日も、たらはかにさんの #毎週ショートショートnote  に参加しています。
お題は「一方通行風呂」


相方ヘイちゃんは、今週はお休みかな?
最新短編をご紹介しますね!

家族って、歳を追うごとに変化している。
そのなかで自分だけが、
立ち位置も変わらずにいるって、けっこうしんどい事です。

周りの変化についていけてないって、思うんですよ。

変化になんて、ついて行かなくてもいいのにね、とお思いでしょうが、
やはり、自分も周りと一緒に成長したく、
変化したく、
新しくありたいと、思うものなのです。

そういう意味では、ヘイちゃんが記事中で紹介していた「サムトの婆」の話は、ヒスイにはいっそ、すがすがしく感じます。
柳田國男の「遠野物語」にあるお話なんですけど。

『黄昏(たそがれ)に女や子供の家の外に出ている者は
よく神隠(かみかくし)にあうことは 他の国々と同じ。
松崎村の寒戸(さむと)というところの民家にて、若き娘 梨(なし)の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、

三十年あまり過ぎたりしに、
或る日親類知音の人々その家に集あつまりてありしところへ、
きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。

いかにして帰って来たかと問えば 人々に逢いたかりし故、帰りしなり。

さらばまた行かんとて、再び跡(あと)を留どめず行き失うせたり。

その日は風の烈しく吹く日なりき。
されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆が帰って来そうな日なりという。』


サムトの婆。
帰ってこなくてもよかったんだけど、帰りたくなったから、帰ってきた。
で、また、どこかへ戻る。

これってね、
サムトの婆には、すでに『生きている別の世界』があって
そこから、故郷へは戻ることもできて。
だけどこれまでは、戻る必要も感じなかったんじゃないのかな。

だって
『別の世界』で、十分に幸せだったから。
不幸なら、もうとっくに戻ってきていただろうし、
不幸なら、ふたたび行ってしまうこともない。

なんというか、
サムトの婆の自由度が、ヒスイには清々しい。

自分の意志で、生きている。
最初のきっかけは神隠し? という
外からの余計なものだったかもしれないけど。

サムトの婆はきっと、神隠し先で存分に生きていたのだと思う。

そして、自分の寿命も見えてきて、
さいごにちょっと、故郷に戻りたくなって。
皆の顔を見て、帰っていった。

サムトの婆の戻る先には
彼女を待っていて、彼女を愛していて、
彼女を自由にさせている世界が
あるんだと思います。

『遠野物語』って、ちょっとふしぎな、怖い気配のあるお話が多いんですが、サムトの婆の話は、何度読んでも
ヒスイは、ちょっと、うらやましくなる(笑)

そんなに自由に行き来できて、
なのに、故郷以上に価値のある場所って。

どこだったんでしょうね。


愛が、あるんだろうな。



明日は日曜日。
ヒスイはシロクマ文芸部を書きます。

書く先の世界は、
自由で明るくて、温かくてすがすがしくて。
ヒスイはそこが大好きなので、
みなさまにもおすそ分けしたいのです(笑)

かけなかったら、
まあ、また来週ね(笑)


66日ライラン~8/31まで続くよ。

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