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「それが今日でなければいいのに」ヒスイの遅れたシロクマ文芸部 短編+短歌

「冬のいろ祖母の作りし果実酒の
黄金にしずみて十三回忌」ヒスイ
(ふゆのいろ そぼのつくりし かじつしゅの
  こがねにしずみて じゅうさんかいき)



「だからさ、コッチの言うことも聞いてよ! あたしの進路なんだよ!?」
「バカなことを…あんな大学じゃあ合格してもどうしようもないでしょう。卒業後のことも考えているの? 出身校は一生ついて回るのよ」

ばーん、とリビングのドアを閉めた。そのまま二階の自室へあがる。
ママなんて、何も分かっちゃいない。
いまどき『出身校』に何の意味があるのよ?
あんなお嬢さま大学を卒業したって、コネ就職しかない。そんなの、あたしのやりたい事じゃない。
絵を描きたいの。絵。イラストでも何でもいい。絵で生きていきたいのよ。

ママは何にもわかっちゃいない。
『絵は趣味にして、まず大学を卒業しなさい。
あの大学はママもお姉ちゃんも、おばあさまも卒業した学校よ。
何が不満なの?』


何が不満って。ホントにママにはわかんないのかな。
あたしには、ママやお姉ちゃんやおばあちゃんみたいな人生は無理だってことだよ。
皆と同じことを同じタイミングでやることすら、身体じゅうビリビリするほど苦手なんだよ。
ひとつの教室に30分以上入っていると、それだけでもう叫びだしそうになるんだよ。
人のなかに入っていくなんて、奇跡以上の努力がいるのに。

このさき4年間、あの学校にいるのがつらいの。
毎朝、学校へ向かうたびに。気道がどんどん狭くなって息が細くなっていくのが分かる。
あたしは自分が絶望的に向いていないってわかっていることを、超人的な努力でやって来た。12年も。
もう限界なの。

だけど。
大人はいつもわかってくれない。とりわけママは。
優等生でいい子で、完璧な卒業生だったママにはわからない。
だけどおばあちゃんは、わかってくれていた――気がする。



子どもの頃、おばあちゃんからは、いつもほんのりとキンモクセイの匂いがしていた。今から思うと着物に香りがしみこんでいたんだ。
匂いぶくろ、空薫物。
小さなおばあちゃんが歩くと、香りが金色の尻尾みたいにゆらゆらとついて歩いた。その匂いの後ろを、あたしはついて歩く。

ふだん、料理をしないおばあちゃんが年に一度だけ台所に入る。梅のヘタを取ったり穴を開けたりして果実酒を作る日だ。
おばあちゃんの尻尾をにぎったまま、あたしも台所に入った。

「翠は梅の匂いがすきかい?」

『ううん、おばあちゃんの匂いが好き』とは、いえなかった。
なぜなら、あたしの言葉はいつだってお腹から口を経由して外の世界へ出た瞬間に、細い糸みたいにこんぐらがってしまうから。
ほんとうはいつも、『あたしをわかって、あたしをたすけて、あたしを――愛して』って、世界に向けて大声で言いたかったのに。

ごちゃごちゃにからまった言葉しか出せないあたしは、言いたい事とは別の言葉でもうなずく。
おばあちゃんは笑って金色の尻尾を揺らめかせ、緑色の果実を酒に漬けていく。

「翠がこれを飲むまで、生きていようかねえ?」

おばあちゃんは、じぶんの命を、コントロールできるみたいに言う。
そのゆたゆたした声を聴くと、金色の尻尾があたしとおばあちゃんに巻き付いて、ほんわりと温かくなるようだった。
時間が永遠に引き延ばされていく気がした。
だっておばあちゃんは、死なないから。
死は、きっとコントロールできるものだから。

もちろんそんなはずはない。
13年前、おばあちゃんは亡くなった。
ある朝、もうじゅうぶんに呼吸したとでもいうみたいに目覚めなかった。
台所にたくさんの梅酒を残して。


そうだ、梅酒がある。あれをのもう。
深夜、静まりかえった家のなか、あたしは足音をひそめて階段を下りる。
リビングに明かりがついていた。
そっとのぞく。


母だ。
床にしゃがみ、ゆっくりと梅酒の瓶を撫でている。金色にかがやく果実の酒。
母の低い声が聞こえてくる。

「——おかあさん。どうしたらいいのかしら。
 翠はなにひとつ、言うことを聞かない。
 わかっているの、あの子は他の子どもとはちょっと違っていて、でも私は、その違いこそ愛しているのだけれど」

なぜか、母のなでている瓶の中で、金色の液体がゆよゆよと動いた気がした。
母はむっとした声で答えた。

「だめよ。おかあさんは翠に甘いんだから。子供のころからそうだった。紫でもない、玄でもない、翠がいちばんのお気に入りだった。
 なんでも言うとおりにしてやっていた。
 ずるいわ、なぜ私のときに、あんなふうに好きなことをやらせてくれなかったのよ」

ゆよん、とまた金色の水面が動いた。母が首を横に振る。

「ダメよ、こんどはお母さんの言うとおりにしません。
翠はあの学校を卒業させます。いい学校よ、私も紫も同じ学校へ行ったわ。お母さんだって、卒業生じゃありませんか。

ええ、そうよ、おかあさん。
私は、怖いの。

翠が、私のだいじな娘が、知らない学校へ行くのがこわいの。
私の知らない世界へ行くのが、怖いのよ。
だって一度でも他の世界を見たら、あの子はきっと帰ってこない。
行ったまま帰ってこない。
私の大切な娘が――」

次に液体が動いたのは、母の白い頬の上。
深夜の台所で母はひとり、祖母の遺した梅酒をなでてほろほろと涙をこぼしつづけた。

「いつか子どもは行ってしまう。
 だけど。
 それが今日でなければいいのに。

 あなたも、そんなふうにかんがえた? おかあさん」

母はグラスに梅酒をついだ。ゆよん、と金色の果実酒はもう一度だけ、動いた。




翌朝、キッチンには「志望校調査書」が置かれていた。私の希望どおりの大学名に、ハンコが押してあった。


「今週末の十三回気がすんだら、お父さんと相談しなさい」
「ママ、ありがとう」

いつもならこんがらがる言葉がスルンと出たのは、おばあちゃんのおかげかな。
ありがとね、おばあちゃん。


ありがとう。ママ。


「冬のいろ祖母の作りし果実酒の
黄金にしずみて十三回忌」

【了】(約2200字)


おくれましたが、シロクマ文芸部のお題 冒頭「冬の色」をお借りしました。
母と娘は、いつだってややこしい(笑)。
ヒスイ宅だけではないでしょうな、きっと(笑)

ヘッダーはUnsplashLuna Wangが撮影

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