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「売上は、ママからの最後のキス」ヒスイのシロクマ文芸部

本を書く。本を売る。
それがママの天職だ。
2年前、私がまだ中学生の時に書いた小説が賞を取り、爆売れした。
以来、ママは流行作家。

いまも編集さんと打ち合わせ中みたい。帰宅した私は部屋の中をのぞく。
ママは、ベッドの上で微笑んでいる。

なぜ笑えるの?
ママの人生は、病のせいで、残り時間が見えてきつつあるのに。
そんなママを放っておいて、パパは相変わらず会社を作ってはつぶしてる。借金をつづけているのに。

なぜ最後まで編集さんに指示を出すの?
私より本が大事ってこと?
私には、ママが分からない。

編集さんが、本の表紙を印刷した紙を出した。

「先生、入稿済みの本はぜんぶで4冊あります。どの順番で出版しましょうか」

ママは透きとおるように白くなった指で、一冊の本をさす。

「これが最初。家族のことを書いた最後の本になるから、私が死んだ直後に出版してちょうだい。
帯に『白川あおい・最後の家族エッセイ』ってつけてね。
『最後』と書いておくと売上があがるはずだから、絶対につけて」
「はい」
「次は恋愛小説。難病物じゃないけれど、悲恋だから売りやすいはず。3冊目はミステリーね」
「はい」

さらさらと、編集さんがメモを取っていく。
ママは残った本を指さした。

「最後はこれ。処女作の続編よ。帯には『白川あおいは終わらない』ってつけてほしいの。売れるはずだから」
「はい。同時に処女作も増刷する予定です」
「ありがとう」

ママは目を閉じてうなずいた。
長いまつげが影を落とす。
浅い呼吸音が続く。
なぜ、こんな状態で自分が死んだ後の出版順なんて、考えられるの?
私には、わからない。


編集さんは、そっと部屋を出てきた。
「あら、雪乃ちゃん。おじゃましてます」

私はぺこりと頭を下げる。彼女は私を気遣うように、

「お父さんは、いらっしゃらないのね。ひとりでだいじょうぶ、雪乃ちゃん?」
「看護師さんが交代で、ついてくれるので大丈夫です。あの」

玄関で靴を履こうとしていた彼女が振りかえる。
このひとは、ママの最初の担当編集者さんだ。
ママと本のことなら、何でも知っている。だから思いきって、聞いてみた。

「あの、ママはどうして、こんな状態なのに出版順なんて気にするんでしょう。どの順番でも、いいじゃないですか」

編集さんはかすかにうつむいた。髪がゆれる。

「雪乃ちゃん、作家って亡くなった直後に、一気に売れるんです。先生はよくよく考えて、しっかり売れるように順番を決めていらっしゃるんです」
「なぜそんなに、売上を気にするの? 本がでるころには、ママはもういない。そんなに売上が大事だなんて」

ぶわ、と涙が出てきた。悔し涙だ。
ママにとっては、本が大事。私より。

泣いている私に、編集さんが声をかけた。

「雪乃ちゃん」
「いいんです、慰めなんかいりません。
 ママは書くことが大好きだった。
 本を出すのが生きがいだった。
 だから最後まで、売上にこだわるんだ。
 私なんかよりずっと、売上が、作家・白川あおいが大事なんです」

涙が次から次へとあふれてきた。
泣いても泣いても、ママに手が届かない。
私より、書いた本が大事なママ。

小さな子供みたいに泣きじゃくっていると、編集さんがそっと、肩に手をかけた。

「雪乃ちゃん、これは、私が言ってもいいのか、迷う事なんですが……言っておきますね。
ご病気が分かってから、先生は遺言書をおつくりになりました」
「遺言書?」
「そうです。亡くなられた後の印税は、お父様ではなく、すべて雪乃ちゃんに入るよう手配なさっておいでです。あなたがこの先、安心していられるように」

あなたを愛しているから。
会社をつぶしては、妻の収入で借金を帳消しにしていた夫にお金が渡らないように。

編集さんは、そこまで言わなかった。
言わずに靴を履き、出ていった。


私はそっと病室をのぞく。
母の胸は、ささやかに上下していた。

動くたびに、

『雪乃、あいしてる。あいしてる』と言っているようだった。

私は、部屋へ戻って泣き崩れた。
泣くたびに、
ママの愛情がひたひたと、しみいってくるようだった。



作家・白川あおいの遺作は4つある。
売れる順に出版される。

その配慮は、母が娘に遺す最後のキスだ。
それが分かったから、私はもう、泣かない。


だからただ、おやすみなさい、お母さん。

【了】

本日は 小牧幸助さんの #シロクマ文芸部  に参加しています。

この短編に登場する作家は、モデルがいます。
最後まで戦い抜いて、書きつづけた作家でした。


彼女の最後の日々を、一度書いてみたいと思っていました。

読んでくださって、ありがとうございました。


こちらにも収録されています。


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