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「パイ割りて湯気に泣きやむ――」『忘れられないあの人』企画 参加作です。

「パイ割りて湯気に泣きやむ夜長かな」
(パイわりてゆげになきやむよながかな)

季語:夜長(よなが)


『別れるまで、あと2分と49.5セント』(ヒスイの恋愛 過去日記)

10月はじめの23時、カナダ、トロント市はすでに晩秋の寒さだった。
私は少しふるえながら、マクドナルドでひとり、コーヒーを飲んでいた。

一人であることが、ありがたいような夜だった。

私は3カ月の予定で遊びに来たカナダで、韓国人の男の子と知り合い、
彼と元カノとの不毛な争いに巻き込まれていた。

二人はお互いだけを見ているにもかかわらず、
私を釣り糸の先のゴカイみたいに絶え間なくつついて
相手に見せつけるためにだけ、近づいたり遠ざかったりしていた。

その夜の私は、彼と元カノを含む仲間の集まりを抜け出して、ひとりでマクドナルドに入ったのだった。

寒かった。骨の髄まで。
腹が立っていた。
そのカップルに対しても、
どこにいても利用されるだけの自分にも、むかついていた。


震えながら見つめるトレイの上へ
ふいに、
紙パッケージに包まれたアップルパイがやってきた。

見上げると仲間のひとりが立っていた。
彼もやっぱり韓国人で、
でもゲイだとカミングアウトしていたので、
私たちは清らかな友情を持っていた。

「よかったら食えよ、ヒスイ
(Eat it, Hisui . If you want)」
彼は、韓国人特有の「F」を「P」に変える発音で、
そういった。

紙包みから揚げたてのアップルパイを出すと途中でぽきりと折れた。
金色のリンゴが、湯気をたててトレイの上に落ちた。


私が
世界に対するコントロールを取り戻したのは
その瞬間だった、と思う。

白くたつ湯気は
暖かくて
一瞬だけのはかない勢いを、力強く吹き上げていた。

99セントのアップルパイに湯気が立てられるなら、
自分にもできる、と思った。

泣き止むなんて、どうってことない。
人に利用されることも
どうってことない。

利用したいやつには
勝手にさせておけばいい。
私は私で
やりたいことを、やるだけだ。
嫉妬だらけのカレシなんて放っておいて。


私はまだ湯気を立てているアップルパイ半分を
友人に差し出した。
ふたりで無言で、食べた。

ガラス窓の向こうで
韓国人のカレシが、鬼みたいな勢いで走ってくるのが見えた。
私はにやりと笑って、

「デイヴィッドが、駆け込んでくるよ」
彼は肩をすくめた。
「やつには、友情ってもんがわからない」
「友情って、なに?」

たずねると、彼はにこりと笑った。
「99セントのアップルパイだ。はんぶんだったから、49.5セントだ」
ふたりで声をあげて笑った。

私が、鬼みたいな顔のカレシと別れるまで
あと2分だった。


【了】



今日は、俳句幼稚園、ラベンダーさんの企画に参加します。
「忘れられないあの人」企画
若いころのヒスイの、情けないエピソードを書いてみました(笑)

こちらの企画、
俳句幼稚園の園児でなくても参加できます。
令和4年10月2日(日)21時までOK!

みなさま、どうぞご参加くださいませ💛


#忘れられないあの人

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