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「啓示のような桜の花がほろほろと、おどっていた。たけのこご飯の湯気の上で」ヒスイ、人称がわからなくなった(笑)

今日は「がんキャリアの母から、たけのこご飯をもらってきたら、桜がふってきた」という話です。


あさ、仕事をしていたら、母から電話がかかってきました。
「たけのこご飯をつくるから、3時ごろに取りに来て」

ヒスイの母は、昔から、昔からというのはつまり、
がんキャリアになる前から、
『世界中は自分が勝手にぶんまわせる』と
信じているひとです(笑)

ムスメを呼びつけるなんて当然しごく(笑)。
たけのこご飯を作るんだから
お前は秒速8メートルで走って来いという(笑)。

こんな母のもとで育ったら
そりゃ「母ちゃんの言うことには逆らえぬ」ということが
毛根のすみずみにまで、いきわたっております(笑)。
ミノキシジルなみに、行き渡っているのです。

いい子のヒスイは、仕事を半分できりあげて
電車に乗ってたけのこご飯を貰いに行きました。

そう。今ヒスイがすんでいる家から、実家までは
電車と地下鉄を乗り継いで、
45分ほどかかるのです。

往復90分。
母のたけのこご飯をもらうには、ちょうどいいコストなのかしらん。
電車の窓からは
ほのかに青い空と、ふわふわと空に刻み込まれたような
薄いピンクの桜が見えて、

その色の取り合わせが
ぴったりするような、
なぜかちょっと、もぞもぞするみたいな
微妙なズレを作っていて。

往復90分をかけて、母のたけのこご飯をもらいに行くヒスイを
バカにしているみたいな
後押ししているみたいな感じでした。

ズレ、を感じたまま実家に帰ると、
そこにはいつもと同じ柱があり、
だけど明らかに、もうヒスイがすんでいない家の匂いがあって、
これもまた
へんなズレを作っていました。

私は、一族のはみ出し者で。
あきらかに家から浮いていて。
だからこの家のなかでは、幸せだった記憶が少ない。

どの柱を見ても、
ピアノの黒い艶も、
潔癖症の母がだいたい2年ごとにそっくり買い替えるカーテンも、
距離が遠い。

そう思っていたら、
たけのこご飯の匂いがしてきて、
ああ、この匂いだけはなじみがある、と
思いました。

母の作るたけのこご飯は、
ヒスイの唯一の味方でもあった、大叔母から伝授されたもので。
この匂いだけは、
私の仲間だったわけです。

そういえば、ここ何年も、たけのこご飯のシーズンに、実家に居なかったなと思っていると、
母がキッチンから出てきた。

よわってる。
わかってる。

母の表情はいつも通りだけれど、
キッチンからリビングに来るだけで、
支えがいる。
父のゴルフのトロフィーと、
家族ひとりひとりの誕生年のイヤープレートが並ぶサイドボードの角に
指を添えて
歩いてくる。

その後ろからふんわりと
大叔母のたけのこご飯の匂いが
母を包み込んでいた。

正直に言おう。

この瞬間まで、私は母がいずれ死ぬ、ということを
理解していなかった。
理解したいとも思っていなかった。

けれども今日の午後3時。
母は明らかに、身の半分を大叔母のたけのこご飯に預けていて、
それは『愛しているの』と同じ匂いで、
『いずれさようなら、だけど一緒にいるのよ』と同じ秒針を刻んでいた。


「あんた、少し食べていく?」

母が聞く。

「たべていく」

私が答える。

そして、たけのこご飯の匂いは
いつのまにか私まで包み込み、
母がゆだねた半分の身ごと、
私の中へ入っていった。

とおく澄みとおる青空から
啓示のような桜の花が
ほろほろと、おどっていた。


たけのこご飯の湯気の上で。




なんだか
書いているうちに、人称がめちゃくちゃになってしまいました(笑)
だけど今日は
このまま出しますね。

たけのこご飯。
おいしかったです。



本日も ヤスさんの #66ライランに参加しています


66日間、書きつづけた後に何が来るのか。
何も来なくても、わりと自分はハッピーだろうなって
ふと考えたヒスイでした。

また明日♡

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