もしも西村賢太が小説を書かなかったら

もしも西村賢太が小説を書かなかったら、彼は多分本当にダメ人間のままだったんだろう。
彼にどこか憎めない印象を受けるのは、自分のダメさを私小説という《額縁》に入れよう、というところから来ているのかなと思う。
それが小説の力なんだと思うし、書くという行為のもつ力の大きさを示していると思う。

彼の小説を読んで、「こいつクズだな」と思うことは、とても簡単なことだと思う。
しかしその感想は、彼が書かなければ、私小説という《額縁》に入れていなければ、決して抱けないものだろう。

西村は書くことでしか、自分のクズさと向き合えなかった。
書くことでクズな自分を再現したり、クズな性と向き合おうとしたりする感じが文章に出ている。
でもそのクズさは治ることはない。
クズ人間にならざるを得ない性を自らフラッシュバックし、向き合い続けること。それが彼にとっての書くという行為であり、生きるということだったんだと思う。

合掌。