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育つかも知れない 育たないかも知れない どこにもいけない思いをここに
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標をなくした男

其の人は泣いていた。
誰にも気付かれぬようひっそりと、おそらくは自分でも気付かぬ裡に。
その涙を止めたいと願った。瞬く度にはたはたと落ちる涙を、その煌めきを、別の耀きに変えたいと。
私は、其の人の笑顔に救われていた。彼女の愁いない咲くような笑顔に、ただただ救われていた。
何故、彼女に憂いが無いと思っていたのか。その胸にあるのは耀きだけだと思っていたのか。
その胸に巣食う悲嘆が、彼女の胸を詰まらせて

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自分勝手な女

「貴女の涙の理由を、私に話してくださいませんか。」
と彼の人は言った。私の痛みがそのまま己の痛みであるかのように、切なく眉を寄せて言った。
不思議な話だ。私は泣いてなどいなかった。だが此の人は私が泣いているのが解るのだと言う。私の苦しみを、解りたいと言う。
優しい人だと思った。
その言葉が私にとってどんなに嬉しかったか。
しかしだからこそ私は、話すわけにはいかなかった。
優しい彼の人を、私の道に巻

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おっさんとようじょ

秋も終わり、木枯らしが葉を攫っていく冬の始め。寂しい木々に埋もれるようにして、その社はありました。
良く言って神さびた、現実的に言うと廃屋。そんな社に住まう神もまた、ボロボロだったのです。
落ち窪んだ目、痩けた頬、疎らな無精髭、ごわごわの短い髪、所々擦り切れ薄汚れた装束。まるで乞食のようにみすぼらしい形をしたその神は、何をするでもなく、ただ床の上にごろんと寝そべっていました。
手を目の前に翳すと、

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闇呼び

毒を唅む

いつからだろう こうして毒を宿すことを苦に思わなくなったのは

昔は毒を持つことすら忌避していたのに 今はもう 毒を生み出し刃を人に向けることすら厭わなくなった

そこに喜びすら感じるほどに

思えば幼い頃からこの気性だった

人を傷付けることに何の躊躇いもなかった

思う儘に刃を振るってそれを愉しんでいた 暗い悦びだ

それから少し成長して世界が広がった時、毒を持つこと、刃を振るうこ

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曇り水晶

今はもう失くしてしまった輝きを憶えている

かつてあった この中に確かに

無くなったワケじゃない 未だここにある 曇ってしまっただけ

今こうして生み出そうとしても、それはかつての輝きを宿しはしないのだろう

純粋な煌きは失われ 私は曇ってしまったのだろう

この手にある水晶玉は覗き込んでも煙をくゆらせるばかりで かつての 星を映す湖面のような煌きはない

曇ってしまった事を悲しくは思うが輝きを

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