続:古墳時代 明確な区分はないが・・・

 飛鳥時代以降江戸時代までは、政治の中心地=時代の名称という認識が一般的だが、それ以前の時代に関しては、そういうわけではない。特に、古墳時代に関しては、前期は弥生時代末期と重なり、後期〜晩期は飛鳥時代の初期と重なる。また、文字による記録も日本国内では発見されておらず(漢字の使用例は別)、中国の歴史書から当時を把握するしか方法がない。だからこそ、副葬品の違いや古墳の形状により時期区分をしているのが古墳時代になる。

 さて、古墳時代の話を再びしていくことにする。まず、古墳時代前期。時代としては3世紀〜4世紀(一説には、出現期の2世紀後半という捉え方もある)。この時代、代表的な古墳としては、出現期最大を誇る奈良県の箸墓古墳。一時期、卑弥呼の墓ではないかとさえ言われていた(実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁の見解では、「大市墓(おおちいのはか)」として第7代孝霊天皇の皇女の墓としている)。現在、卑弥呼の墓ではないかと言われているのは同じく奈良県の纏向遺跡。個人的には早く解明してほしい遺跡の1つでもある。この時期の古墳からは銅鏡(三角縁神獣鏡)、腕輪など碧玉製のものが多く、呪術的なものが多くを占めている。そのため、被葬者は呪術的性格の人物と考えられている。実は、これは卑弥呼にも当てはまる。『隋書』倭国伝では、卑弥呼は「鬼道」を操り、民を支配していたこと、身分さがあったこと、市が開催されていたことなどが記されている。古墳の大きさが権力を示すこの当時は、竪穴式石室のため、追葬ができない。それだけ重要な人物であったとも考えることができる。時代は下って、4世紀後半〜5世紀になっていく。

 

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