古墳時代 古墳の広がりと形状・副葬品から当時の人々の様子を探る

※最近の研究を全て調査・反映できていないため、多少データが古い可能性があります。その点に関して、ご意見・ご指摘等あると思います。調べる時間も限られますので、見ていただいた方からのコメント等でまた調査しなおし、改定する箇所が出てくると思います。ご意見等よろしくお願いいたします。

★大和政権★
 「大和政権」は「大王(のちの「天皇」)」を中心とする畿内有力豪族の連合政権のことを指します。4世紀後半から5世紀ごろにかけ、全国を支配していきました。これは、古墳の分布、広まりの時期からわかります。
 →大和政権と古墳の出現は関連性が高いと言えます。

*氏姓制度:大和政権を支える政治的社会秩序。世襲制。
  【氏】:同族的集団
  【氏上】:氏の代表
  【氏人】:血縁者
  【姓】:政治的身分・職務を示す称号(氏単位に与えられた)
    具体例【臣】 蘇我氏、葛城氏など地名に由来する豪族
         【連】 物部氏、大伴氏など特定の職名に由来する豪族
         【君】 地方の有力豪族
 *大臣(臣の筆頭格) 大連(連の筆頭格) 国造(地方支配職)

 *経済基盤
  【屯倉】:大王家の直轄領 (*田部:屯倉の耕作民)
  【田荘】:豪族の私有地
  【名代・子代】:大王の直轄民
  【部曲】:豪族の私有民
 

*渡来人 5世紀ごろ、朝鮮半島から渡来した人々
  【品部】:渡来系技術者集団
   具体例:①陶作部  ②韓鍛冶部  ③錦織部  ④史部  など
    伴造:品部を統括する長

割としっかりとした、組織でまとまっているようにも見えますが・・・。なお、この時期はまだ倭では「文字」を扱うという概念がありません。そのため、当時の様子を知るためには、中国の歴史書から読み取る必要があります。国内で、漢字の使用例が発見されていますが、それは中国大陸や朝鮮半島からやってきた渡来人の人々が、伝えてきた文化になります。そこで、次は、倭と東アジアの国々との関係について少し見ていきます。

★東アジア情勢★ *5〜6世紀頃の朝鮮半島の地図を見てみよう!
 *朝鮮半島進出計画 大和政権の目的は、朝鮮半島の先進技術と鉄資源の確保でした。現在も日本は資源の乏しい国ですが、当時もそれは変わりません。資源そのものはありますが、取り出す技術も当時は発展していませんでした。。

*4世紀の朝鮮半島
  【高句麗】:朝鮮半島北部 4世紀初期に楽浪郡を滅亡させて台頭
  【百 済】:朝鮮半島の馬韓を拠点(多数の渡来人が来日)
  【新 羅】:朝鮮半島の辰韓を拠点
  【伽 耶】:弁韓周辺、大和政権の拠点 統一国家にならず新羅が滅ぼす
 391年 【好太王碑文】 大和政権と高句麗の対戦(大和政権の大敗)
   →この戦いで5世紀頃、日本に馬(乗馬)の文化が伝わる
**参考史料 高句麗との対戦**
 百残・新羅は旧是れ属民なり。由来朝貢す。而るに倭、辛卯の年よりこのかた海を渡りて百残・■■・■羅(新羅か?)を破り、以て臣民と為す。六年丙申を以て、王躬ら水軍を率ゐ、残国討科す。……(以下略)……。         【出典:高句麗好太王碑文】

*5世紀 倭の五王が中国(南朝)に朝貢  →五王 讃・珍・済・興・武(雄略天皇と比定) 目的:朝鮮半島支配を優位にするために中国皇帝の権威を利用した

478年 武の上表文  武:雄略天皇=ワカタケル大王
**参考史料 武の上表文**
 興死して弟武立つ。自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と称す。順帝の昇明二年、使を遣はして上表をして曰く「……(中略)……東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国……(中略)……」と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍に除す。
【出典:『宋書』倭国伝】

このように、中国の歴史書に当時の倭のことが書かれている。

★渡来人の影響★
*仏教伝来 6世紀 百済の聖明王から欽明天皇に伝えられる
  538年(戊午説) 『上宮聖徳法王帝説』、『元興寺縁起』
  552年(壬申説) 『日本書紀』
*儒教伝来
  5世紀 王仁(西文氏の祖)
  6世紀 五経博士により広められる
*須恵器 5世紀から朝鮮半島から伝来した土器(登窯、ろくろなどの使用)
  対比:土師器(弥生土器の流れ)
 漢字伝来 4世紀〜5世紀  渡来人が中心に漢字を用いて文章を作成
  具体例:熊本県 江田船山古墳出土鉄刀銘
      埼玉県 稲荷山古墳出土鉄剣銘 

★古墳文化★
*特徴:畿内から全国に拡大。日本独特の形状である前方後円墳が造営される。
    7世紀後半にも古墳は造られるが、次第に減少。6〜7世紀ごろは有力農民層にも広がり群集墳となっていく。古墳の表面は葺石と埴輪、九州地方には支石墓に加え装飾古墳も見られる。

前方後円墳に関しては、朝鮮半島でも発見されている。九州北部に見られる支石墓や甕棺墓なども多く発見されているが、他の地域では見られない特有のものでもある。これは、朝鮮半島で見られるため、文化が伝播してきたと考えられている。

*前期 3世紀末〜4世紀
  形状:前方後円墳
  場所:丘陵上
  内部:竪穴式石室や粘土郭 *竪穴式石室のため追葬ができない
 副葬品:玉、道鏡(三角縁神獣鏡) 司祭者的性格の人を葬ったと考えられる
  遺跡:奈良県 箸墓古墳  *出現期の古墳としては最大規模

*中期 4世紀末〜5世紀
  形状:前方後円墳が巨大かして各地に広がる
  場所:平野
  内部:竪穴式石室
 副葬品:馬具・甲冑など 武人的な性格の人を葬っていたと考えられる
  遺跡:大阪府 【大仙陵古墳】(百舌鳥古墳群) 誉田御廟山古墳(2019年に世界遺産に登録されました!)


*後期 6世紀〜7世紀
  形状:【群集墳】 有力農民層に広がる。小型の古墳(円墳)が一定箇所に集まる
  場所:山間部・島嶼部にも
  内部:横穴式石室、羨道・玄室 *追葬が可能となる。  
 副葬品:日常生活品、須恵器(朝鮮半島から伝わってきた灰色で硬質の土器)

古墳時代は大きく3つに分けられ、その時期によって副葬品が違う。そのため、被葬者が副葬品によってどのような人物だったのかを推定する鍵になっている。

★古墳時代の生活
 古墳時代の支配者は、村落から離れた場所に居館を構えて生活していた。
 竪穴住居の内部に、かまどが備えられたのが5世紀ごろ

 農耕儀礼  ①【祈年祭】(春) 豊作を祈って行われる
       ②【新嘗祭】(秋) 作物の収穫に感謝して行われる。天皇即位と重なる時は【大嘗祭】と呼ばれる
 呪術的風習 

①【太占の法】 歯科の肩甲骨の骨を焼き、ヒビの入り具合で吉凶を占う
②【盟神探湯】 熱湯に手を入れて、火傷のただれ具合で真偽を判定する
 その他   山や孤島などを祭祀の対象としたり、氏神を祀ったりもした。
@山・孤島関連
 三輪山(奈良県):山を神体とし、拝殿のみで本殿がない。奈良県の大神神社
 沖ノ島(福岡県):玄界灘にある孤島。福岡県宗像大社の沖津宮
 伊勢神宮(三重県):大王家の祖先神である天照大神を祀っている
 出雲大社(島根県):大国主神を祀る
 住吉大社(大阪府):海神を祀る

古墳時代の生活は、その前の時代の縄文時代・弥生時代の風習の影響を受けているものもある。神体を山や島に・・・という考えはアニミズムの思想が元になっているとも考えられる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?