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むっちゃん

タイトル通りです


強火美音担「むむむむ」こと、むっちゃんと名古屋で遊んできました。


名古屋で何をしてたかはむっちゃんのレポにちゃんと書いてあるし、とても正確なのでそっちを読みましょう。

今はアカウントを消してしまっているけど、それでも美音先生の気持ちはずっと一途なむっちゃん。


一泊二日一緒に過ごして感じた、私なりのむっちゃんという人間の解釈を書いてみたいと思います。

公式と解釈違いを起こしている可能性もあるけどまあいいか。


書きます。


むっちゃんは、端的に言うと「ちゃんとした人」だと思う。界隈では珍しく(全方位に失礼)

礼儀を重んじる侍みたいなとこがあるし、基本的にストイック。

noteとか読んでても制作物一つ一つへのこだわりがすごいし、私が作ったら「ま!いいか!」で流してしまったり、そもそも気にも止めないようなことでもきっちりとやりきる。

丁寧で、妥協をしたくない人なんだと思う。

それはきっと人間関係においてもそうで、相手に失礼のないように慎重に言葉を選ぶホスピタリティのある人で、むっちゃんと過ごしているととにかく居心地がいいし、むっちゃんは意識的にしろ無意識的にしろ、相手が居心地のいい空間を作るプロだった。

実際私はむっちゃんとお話するのが楽しすぎて、言わなくてもいいような余計なことまで喋りすぎたし、それでむっちゃんを嫌な気持ちにさせてないか普通に不安😁 やってしまったかもしれない。


楽しみなことの前に体調を崩してしまうのも多分そのホスピタリティが裏目に出て、「失敗してしまわないかな?失礼のないように出来るかな?」という気持ちが前に出すぎてしまうんじゃないかなと思ったり。

そんな不器用なとこがなんか可愛くて私は好きだなと思ったし、そういう人が「ま、ぺこむならいいか!」と思ってくれたのが、シンプルに優越感を感じたり。


そしてとても質問上手。

私みたく喋り倒してしまうタイプを気持ちよく喋らせてくれる天才。こっちが話したいことを聞いてくれるし、話が弾むような話題を用意してくるのがとっても上手い。これもさっき書いた相手への礼儀、気遣い、ホスピタリティから来てるものだと思う。

凄まじい気遣い。

だからこそなんだろうけれども、本人が徹底的な気遣いを出来てしまうから「こうあるべき」という正解の固定概念に囚われてしまって、人付き合いで辛くなってしまう場面が多いのかな、なんて思ったり。大概の人間はむっちゃんほど人に気を遣って生きていないのだ。みんながむっちゃんだったら世界はもっと優しいと思う。


ベースが気遣いの鬼故に、「こうあるべき」の正解に囚われて(囚われてって良い方もどうなんだろうとは思うけど、いい表現が浮かばない。別に悪いことじゃないと思うんだよね、考え方が揺らがないってことじゃん)他人を拒否してしまうことを申し訳なく思うんだろうけれども、私は別に苦手は苦手でいいと思うんだよね。別に「私が苦手だからあなたが変わりなさい」と命令してるわけでもなく、それで誹謗中傷しているわけでもなく。

じゃあいいじゃん。苦手だけどただそれだけです、なら私はそのままでいいと思う。

でも多角的に物事を見て、他人も自分自身も受け入れられるようにならないと自分が生きにくい、って言ってたから、やっぱりむっちゃんはどこまでもストイック。すでに柔軟だし他人を受け入れることは出来てると思うんだよね。


そして、むっちゃんの美音先生の愛は一言で言うなら「無償の愛」

拠点がnoteになって見てもらえなくなっても一途に美音先生を愛し続ける姿勢は健気だし、そんなむっちゃんだからこそ、美音先生も、むっちゃんのことを特別だと思っているんだと思う。

見えなくても思いは伝わってるよ、ずっと美音先生の特別だよ。絶対に。

だからこそ、またむっちゃんが美音先生に会いに行けることを私は願い続けたい。


一緒に遊べてすごく嬉しかったし楽しかったよ!

ありがとう!

こっち来た時はどこでも案内するからね🫶

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