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グーテンベルクと天下一品

こんにちは、“鳩”です。
この度、「王安石と給付金」の記事で、キナリ杯で特別リスペクト賞「素振りでホームラン賞」を受賞しました。
大変光栄なことで、びっくりしています。
ありがとうございます。

受賞発表の時は予備校の授業中でした。
コロナ自粛が明けて授業が再開しており、キナリ杯の結果もそぞろと気にはなっていたのですが、6月の第一週は何しろ生徒との初対面の場でしたからそちらに注力しておりまして、受賞の知らせを確認したのは休み時間に入った午後4時前でした。
ホットメールの受信音がやけにピーピー鳴いており、「あなたの記事が話題になっています」と通知が出ていたので、まさかと思い、noteを開いて望外の結果を知ったのです。
「おっほ!」と声が出てしまいました。
すぐさま妻に受賞の報告をラインしたのですが(困惑しつつも“鳩”写真を撮ってくれたのは他ならぬ妻でしたから)、僕も気が動転していたのか以下のように送ってしまった。

すごあた

これは、「す」と「ご」までは何とか入力できたのだけど、最後の「い」が指の震えでうまくディスプレイをなぞれず、「あ」と下に続く「た」に指が触れてしまって生じた現象です。

その日はまだ授業がありましたので、「おっほ!おっほ!」と思いながら何とか残りの講義をこなし、9時半頃に仕事を終えました。
いつもならすぐに帰ります。
しかし帰宅する時間には、妻は2歳半になる娘と寝ているし、その日は僕もまだ晩御飯をとっていなかったため、「受賞の一人祝賀会だ!」とラーメンを食べにいきました。
なんといっても天下一品のラーメンが大好物なのです。
私事で恐れ多いのですが、近年に至る僕のお腹は氾濫直前のナイル川のように水位が上昇しておりまして、妻との幾多にわたる協議の上でついに「ラーメン廃止令」が発布され、天下一品はおろかこの世に存在するおよそ全ての中華麺を食すことが禁じられていました。
けれども、今日だけは特別です。
身に余る賞をいただいたのだから一日くらい天下一品を食べたって、神もイエスもブッダも孔子も、僕の愚かしい行為を赦してくれるはずです。
神の御名によりて、ラーメン。

それで、僕は心ゆくまで天下一品のチャーシューメン・こってり・ニンニクなし・麺固めを堪能し、ほくほくとした気分で帰路についたのですが、自宅マンションの玄関前で神の啓示が下ります。
妻が起きていたらどうするのだ、と。
おお、神よ。
なるほど、やはりラーメンの効果があった。
頭が冴えているのです。
ハーゲンダッツをコンビニで買ってかえり、「ただいま! 本当に受賞したよ、君のおかげだ、いつもありがとう、今日は二人でお祝いしようよ、ハーゲンダッツを買ってきたよ、一緒に食べよう」などの文句を並べれてみればどうでしょう。
妻はもちろん喜ぶし、僕も体よくハーゲンダッツにありつくことができる。
同じ日に「天下一品とハーゲンダッツ」ですよ。
策士とはこういうことである。
はたして妻は起きていて、なかよく二人でハーゲンダッツ=リッチミルクを食べました。
これもキナリ杯で受賞のなせるワザです。
ありがとうございます。
妻には内緒にしておいてくださいね、この話。


温かい講評のコメントも大変うれしく、恐縮しております。
教鞭はおっしゃる通り、ハリー=ポッターの杖です。
amazonで買いました。
ポチっとワンクリックで注文した次の日に届きました。
本当に魔法みたいですね。
僕はハリー=ポッターの魔法より、amazonの方がよっぽどイリュージョンではないかと思っているのですが。
ほしいものをチャチャっと探せて、翌日(場合によっては当日に)送られてくるんですよ。
どうなっているんだ、いったい。

ドローン宅配の実用化が目前に迫っていることを考えると、現代の技術革新の速度には恐ろしさを感じてしまうことがあります。


それはnoteにも言えることで、使い勝手、拡散力、サポート(投げ銭)のシステムなどがあったからこれほど人々に受け入れられたのではないでしょうか。
わかりやすいUIで本当に助かっています。

noteがなかったら「王安石」の話も書いていないし、キナリ杯だって開催されていないワケだから、考えてみると不思議なものですね。


テキストの拡散という観点では、「印刷術の発明」が世界史上最も衝撃を与えた技術革新でした。
活版印刷術は、グーテンベルクにより発明されます。
15世紀半ば、1450年頃のことであったらしいのだけど、発明の時期すらよくわかっていません。
グーテンベルクの生涯についてはほとんど史料が残っておらず、彼の人となりは周辺の資料から類推するしかなかったのです。


歴史上の人物について記述する際に、僕はなるたけ一次資料(それ以上さかのぼれない資料のこと)をあたるようにしているのだけど、グーテンベルクにおいてはそういうものが一切なくて、後世の伝記を読んで彼の輪郭をおぼろげながら描くしかありませんでした。
二次資料では「話の出どころ」が怪しい場合があるので(というか一次資料も結構適当なことが書いてあります)、できれば「話の出どころ」を確認したかったのですが、グーテンベルクの一次資料というとドイツのマインツ大聖堂(もしくは大学)の書架に眠っているであろう、1455年におけるマインツ市の11月訴訟記録(古ドイツ語で書かれている)などになってしまいます。


無理ですよね。

まずドイツ語(しかも古文)が絶望的ですし、マインツの大聖堂に電話をかけて「あのぉ、すみません、日本の予備校講師なんですが、いまnoteにグーテンベルクをテーマとして記事を書いているんですけど、マインツ市の訴訟記録(1455年11月)をコピーして至急ファックスしてくれますか。え、無理? マインツに来てくれるならギリOK? マインツですか、マインツねぇ、はい、いえ、そうですよね、ははは。ガチャン。」(会話は少なくとも英語)なんてできないですよ。

グーテンベルクは多くの裁判事件にかかわっていたらしく、当時に裁判記録から彼の生涯が推し測れます。
いやあ、グーテンベルクがたくさんの裁判に巻き込まれていてよかった
彼はちょっと変わった性質の持ち主だったのか、訴えられることが多い人生だったようです。
父親の遺書をめぐる問題や、女性との痴情のもつれ、年金の問題など様々な裁判の記録が遺されてます。
なかには、「グーテンベルクにペテン師呼ばわりされた」として靴屋に訴えられたものもあったとか。
靴屋を「ペテン師」呼ばわりするって、いったいどういう状況なのでしょうか。
できればそういうことをする人とは距離を置きたいですよね。
グーテンベルクは割と偏屈な人物であったことが想像されます。

訴訟内容で一番多かったのは、もちろん金の貸し借りトラブルでした。


さて、「印刷術の発明」に話を移します。
中世から近世に至る1400年代のヨーロッパでは、活版印刷術の発明が心待ちにされていました。
当時の書物は大変高価で、そのほとんどすべてが写本です。
写本とは、書物を羽根ペンで一字一字書き写したものですね。
教会や修道院で、「写字生」が根気よく写本を作成してゆきました。
気が遠くなるほど手間のかかる作業です。
途中で集中力が無くなるものもいましたし、当時の薄暗い照明の中では書き写しは日常茶飯事、あまりの退屈な作業に「ここんとこはこういう風に俺流で直してやろう」と勝手な修正を加えた「改悪」も横行しました。
結果、多くの書物は原形が損なわれていったといわれています。

元々、印刷術は中国で考案されていたのですが、西欧に技術が伝播することはありませんでした。
当時の東洋と西洋はほとんど交流がなかったですし、中国では木版が主流であったことや、漢字とアルファベットの性質があまりに違いすぎたことなどが、その原因に挙げられます。
また、中国では割と早い時期から印刷に適するレベルの高品質な紙が生産されていましたが、ヨーロッパで紙の製法が確立するのは15世紀前半頃でした。
しかし、西欧で印刷に耐えうる紙が生産されるようになると、同時期には教会や修道院の増加に伴い『聖書』や『讃美歌集』の需要が高まっていましたから、書物を大量に作成できる方法が人々によって研究されたのはうなずける話ですね。

「活版印刷」のシステムはシンプルです。
① アルファベットの判子ブロックを用意する。
② ブロックを並べ、文章を作る。
③ インクを塗って、紙に印刷する。
ね、簡単でしょう。

しかし、当時の技術力では①の金属製ブロック、いわゆる「活字」を同じサイズにそろえて精密に作ることはほとんど不可能に近いことでした。
②の工程はイメージがしやすいですね。
活字を組み合わせてケースに入れ、「ゲラ」と呼ばれる受け皿に乗せて調整し、金属製の枠をはめ込んで「組版」を作成しました。
これが本の1ページになります。
③は、ブドウの圧搾機(ブドウジュースを作る機械、二枚の金属板で実を潰す)の機構を応用すればイケそうです。
グーテンベルクは、父が造幣局に務めており、自身も工員として作業をしていたから、金属加工の技術・知識を持っていました。
精密な「活字」を作成する自信があったのでしょう。
ワイン商として働いていた経験もあったので、ブドウ圧搾機の機構にも造詣が深かったとされています。
何が人生に役立つか、いろいろ経験してみるもんですね。
今度ブドウ狩りにでもいってみます。

というわけで、アイデアがあったグーテンベルクには、お金がありませんでした。

グーテンベルクは資金を提供してくれる人物を探しました。
「活版印刷」の方法が確立し、技術を独占して販売すれば、これはもう一攫千金、一気にウハウハ億万長者です。
しかし、大量の活字をそろえ、巨大な印刷機を設置し、製本のスペースを十分に確保した事務所を用意したあと、多くの職人を雇わなければいけません。
事業には巨額の資本が必要になるのです。

グーテンベルクは、ヨハン=フストと出会いました。
彼はグーテンベルクの研究の内容を聞き、「それでは」といって資金を提供します。
現代の感覚で1000~2000万円くらいの投資だったようです。
グーテンベルクはそれを元手にさっそく活版印刷の開発・運用に取りかかりました。
しかし、あっという間に資金は底をついてしまいます。
印刷の発明以外にも、彼はいろんなことにお金を浪費してしまいました(何に浪費したのかはとても気になります、例えば自分磨きのために簿記の講座に通っていたのならまあいいかなぁと思うのだけど、酒や女に費やしたのかもしれません。そもそも酒でお金を浪費することも、適度な量なら問題ないと僕なんかは考えてますし、この辺りは各個人の価値尺度によるので難しいことですね、息抜きなら簿記講座より断然アルコールです)。

つまり、お金の計算が絶望的にできなかったのです。
でも仕方ないじゃないですか。
グーテンベルクもホモ=サピエンスなんだから。


彼は、印刷術の素晴らしいアイデアを持っていたのだけど、お金に関してはだらしなかった。
ただそれだけですよね。
それで、フストに頼み込んで二回目の融資をしてもらうのだけれど、それも数年で全部溶かしてしまった。
たまりかねたフストは裁判を起こし、契約に基づいてグーテンベルクの印刷技術と、工房にあるすべての機械・職人を連れて行ってしまいます。
グーテンベルクに残ったものは、簿記3級の資格だけでした。

フストに従った職人頭のシェファーは商才があったようで、二人はタッグを組んで印刷の事業を推し進めました。
彼らはヨーロッパ全域に事業範囲を拡大し、出版事業にも手を染めていきます。
この活動により印刷技術はヨーロッパ全域に広がってゆくのでした。
世界史の授業では「活版印刷術はルターの宗教改革成功の要因になるんだよ。」と教えています。
ドイツ語訳の『聖書』がバリバリ刷られたため、免罪符をサバき続けた教会のウソがばれてしまうんですね。

「活版印刷術の発明」で歴史に名を残したグーテンベルクですが、その晩年はひっそりとしたものだったというから、何とも言えない心持ちになってしまいます。
彼は生前に富や名誉の一切を得ることはありませんでした。

でも、僕はそれでいいと考えています。
彼も一人の人間です。
世界史には偉大な人物がたくさん登場しますが、彼らはすべてホモ=サピエンスです
これは断言できます。
ホモ=サピエンスなので、おのずと限界があるワケです。
お金の計算ができなかったグーテンベルク(簿記3級)。
でも彼には確かなアイデアがありました。
ホモ=サピエンスなんだから得手不得手があるのです。
だから人々は互いに支えあって、苦手なところを補完しあうのです。
それが美しいのです。
と考えると、グーテンベルクに欠けていたことは足りない技術を外部に委託するアウト=ソーシングの能力だったのかもしれません。

この話の教訓は、「人間には限界がある」ということです。
ラーメンを一度食べたからといって、いったいどこに問題があるのでしょうか。
仕方ないじゃないですか、だってホモ=サピエンスなんだから。

グーテンベルク


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