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芥川龍之介と病跡学(パトグラフィー)

病跡学とは
みなさんは、芥川龍之介をご存知だろうか?
多くの方は、高校の現代文で羅生門を習った事や文学史などで新思潮派であることなどを暗記させられた方であろう。また、少し詳しい人であるなら彼が最後に大量の睡眠薬(ヴェロナール)を飲み自殺をしたというのを知っている人もいるかもしれない。
私もこれに似た状態であったが、近代文学を学ぶ内にひとつの消えかえた学問「病跡学」に出会った。私は、作品よりも芥川自身を知ろうとした。そして、彼が非常に深い闇を抱えている事に気づいた。そして、それが作品に大きく影響を与えた事に気づきそれをもっと深く探るために近代文学専門の先生の元を尋ねた。そしてその時に、私が行いたいのは文学を知ることではまさに、「病跡学」を知りたかった事に気づいた。

芥川の作品から見る病跡学
まず、病跡学を知る前に彼の作品を分類する必要がある。彼の作品には、簡単にわけると3つに分ける事ができる。初期、中期、後期である。それぞれの代表作を列挙する。
初期:羅生門、鼻、芋粥
中期:秋、蜜柑
後期:大道寺信輔の半生、河童、歯車
このように簡単であるが、分類する。それぞれの時期には、それぞれの特徴があり面白いが、病跡学として取り上げるべきなのは、後期の作品群である。
彼の作品の特徴として、現実生活との隔離された作り上げられた世界というものがある。しかし、それは後期作品群になると変化が見られるようになる。主人公が、彼自身を思わせるという作品が登場しだすのである。これこそ、病跡学の醍醐味といっていい、作者の精神状況により作品に影響をだすというものである
ここで、言っておくが病跡学とは文学の中の学問ではない。精神医学の中の、学問である。私は、それを芥川文学の中に取り入れることにより新しい視点を作り出したいのである。

芥川の病歴
この学問を行う上では、彼の作品を読むだけではだめである。彼の作品を書いているときの精神状態を知る必要がある。これが、生きている人間なら取材なりなんなりをすればよいのだが彼は、生きていない。そういうときには、彼の書簡を読むのが良い。ここは、少し歴史学につながる物がある。では、彼の病歴を見ていこう。
参考にするのは、岩波書店から出版されている「芥川龍之介全集19,20刊」である。では、見ていこう。
19巻
大正10年4月24日付け書簡
朝日新聞記者であった彼は、上海にて乾性胸膜炎を発症する。この病にて、入院するに至る。これが、書簡で確認できる最もはじめの病である。
大正9年9月8日付け書簡
支那出張からの帰国後の彼の体調が優れぬ様子が見受けられる。特に、胃腸と痔に関しての記述がある。
大正9年10月12日付け書簡
この日書簡より神経衰弱に文言が見られだす。神経衰弱というのは、現代的に云うと軽いうつ病から統合失調症までを表す精神病の総称である。これより、しばらくは湯原で療養し、体調は回復するも神経が優れず睡眠薬に依存している状況が読み取れる。
大正11年11月25日付け書簡
胃酸過多の文言あり、その後にピリン疹や神経衰弱の文言あり。ピリン疹は神経衰弱より来て、睡眠薬が必要であることが書かれている。

以上は、19巻で見られた体調不良であるが、支那出張での胸膜炎を機に神経衰弱などが見られる様になったと思われる。ここでの重要ワードは、神経衰弱胃腸である。彼は、この時期に執筆に追われておりこれもこの2つを悪化させたと思われる。
20巻までを列挙すると文字数があまりにも多くなることに気づいたので、この他に関しては簡略化して書く。彼は、この後も主に神経衰弱又それからくる妄想、幻覚、情緒不安、続く胃腸障害に苛まれていくこととなる。

作品の変化・まとめ
彼の作品の著名なものの中で彼の作品の変化がわかるのは「点鬼簿」である。彼は、この作品の中において彼自身を思わせる人を登場させる。これは、彼の作品の中において初めてのことであり、最後の点である。わたしは、この作品を気に彼の作品が変わっていくと感じ、それを長年患いの神経衰弱であると考える。彼は、死を考えるようになったことが、作品や書簡の中から読み取れるそのような中からかれは、自分自身を思い返すかのような作風に変化していったのでないかと思う。

最後に
上記のように書いたのが、病跡学の一端である。ここでは、書ききれなかったが芥川龍之介の、病状やそれからみえる作品の事は数多くある。私は、それを完全に書ききる事は到底できない。なので、この場所を借り少しだけでもこの学問を知ってもらえるように書いたつもりである。少しでも多くの人の元へ、届くことを祈る。


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