見出し画像

模型作品がアートとなり得るに足りないもの〜オリジナルへのリスペクト欠如

この記事(↓)の続き

前回、オリジナル志向への意図を書きました。これは模型をアートフォームに昇華したいと考えるモデラー達への啓蒙でもあります。

ちなみにタイトル画像は「クリエイティブ・コモンズライセンス」です。この記事も私の"文芸表現作品"という意識で書いています。なので、記事自体を「クリエイティブ・コモンズライセンス」で公開したい、という考えからタイトル画像にしています。なお、ここで語る「模型」は「スケール模型」の事であり、オリジナル造形デザインを生み出した作家が認知されているキャラ模型は別の話です。

オリジナルは幻想か

私の考えの結論からまず先に書きます。

「オリジナル=1次創作のこと」

です。そして、

「オリジナルを幻想というのなら、ビートルズの名曲全て幻想と言うのと同じ」

つまり、オリジナル性を否定することは、あらゆる創作分野における数々の作品を生み出してきた全てのアーチストの「オリジナル作品」を否定することと同意です。

こういう事を書くとよく「ゼロから1は生み出せない、オリジナルは存在しない」という意見をいただきます。そんな事はもちろん知っています。なので私は「ゼロからスクラッチ」ではなく「イチからスクラッチ」という言葉を使ったりします。

そのような意見を持つ人と私はそもそも「オリジナル」の定義が違います。オリジナルとは、何もないところから生み出すのではなく、先人たちの成果・影響を「巨大なゼロ」とし、作者が「イチ」から生み出す新しい解釈や表現。それがオリジナル。0から1を生み出す事ではない。それを前提として話をしています。

スケール模型作品が他のアート表現作品と同じレベルで未だに認知されない、あるいはなかなかその域まで昇華されない最大の原因。それは、

「オリジナル=1次創作へのリスペクト欠如」

というのが私の意見です。これまでスケールモデラーのマジョリティがこの「作家のオリジナル性の意味と価値」に真剣に向き合って取り組まなかったこと、もっというとそれに意味と価値を見出す意識すら持たなかった結果だと思っています。

模型に足りないもの=オリジナル性の定義

スケールプラモデルは、メーカーが実物のデザインを元にした縮小立体物をキットして開発し、大量生産に乗せて工業製品として世に出します。ゆえにプラモデルはあくまでも工業製品であり、特定作家のアート作品ではありません。ただ、作家性のある造形の原型を使った製品もあるため、完全にアート性がないかと言われれば、それは微妙なところです。特にフィギュアなど原型師の創作によるものは作家性があります。そう考えると「製品による」とも言えるかもしれません。しかし作家性があったとしてもプラモキットそれ自体は「作品」とは言えないでしょう。

また、「スケール模型」というからには元になる実物があって、それをスケールダウンしたのがスケール模型です。この「実物が存在するかどうか」というのも大きなポイントかもしれません。

車や戦車、飛行機のプラモデルを考えてみましょう。それらは1/1スケールの実物があります。それを模写して落とし込んだのがスケール模型。
例えばタミヤのフェラーリのプラモは、デザインはフェラーリが考えたものです。オリジナルデザインはタミヤによるものではなくフェラーリのものです。
これを縮小模型として工業製品として売り出した時点で、「作品用の素材」となります。
これがスケール模型の宿命、とも言えるでしょう。

3Dスキャンフィギュアは作家性の排除

最近の3Dスキャンフィギュアの登場は、ある意味スケールモデルにおけるこの「作家性」との決別です。これまで大量生産の工業製品であるプラモデルにおいても、フィギュアの分野には作家性が存在しました。それは手原型で造形師が造形したものがキット化されていたからです。

フィギュアが車・戦車・飛行機などの模型と大きく違っていたのは「実車が存在するかどうか」です。車などの模型は実写を採寸し、それを縮小模型とします。精密に、実物に忠実に作れば作るほど、それまであった「作家の独自解釈」は排除されていきます。タミヤなどはあえて「模型としてカッコよく見えるようにデフォルメを加えている」そうですが、そこも微かに残された「タミヤの作家性」なのかもしれません。実寸原理主義者のモデラーはそれを嫌ったりします。

ところがフィギュアに関しては、その辺が(まだ)比較的ゆるやかでした。フィギュアに宿った作家性を評価したり貶したり、あーだこーだ言いながら愉しむ文化がありました。これらフィギュアは参照元画像や造形があると言ってもある意味実物が存在しない模型。つまり原型師が創造主である造形を「模した」模型でもあるわけですから、その作家性を愉しむ文化が育っていたとも言えます。

ところが3Dスキャンフィギュアの登場がその存在価値を揺るがしました。3Dスキャンフィギュアは実際にこの世の中に実在する人物にコスプレをさせてスキャンしたものです。あるいは、データ上でヘッドや手足を切った貼ったして作り上げたものです。ある意味メーカーのデジタル原型師がフランケンシュタイン博士のごとくデータ上で生み出した創造物とも言えるわけです。

3Dスキャンフィギュアは、データ元になる本物の人間がいる以上、やはり実物が存在する模型、と言えると思います。元データを多少改善していようが、それはPhotoshopで画像を修正するのと同じこと。「造形師によるクリエイション、造形」ではありません。そこに造形作品としての作家性はあるのか?と考えたら疑問です。やはり作家の作品ではなくあくまで大量生産の工業製品なのです。

3Dスキャンフィギュアの登場によってフィギュア表現に残っていた「作家性」が取り除かれ、スケールプラモデルは完全なる「実物を模したもの」、「素材として完全なる工業製品になった」と言えると思います。

一次創作こそ「オリジナル」である

当たり前の話になってしまいますが、結局現代の世の中において「オリジナル」と定義されるのは、作家性が宿る「一次創作作品」でしょう。

人類は先人たちのアイディアや創作物からインスピレーションを得て、新たな作品を創り出してきた歴史があります。全てのクリエイションには元になるアイディアや作品が必ず存在します。一般的に「インスパイア源」と呼ばれるものです。「オリジナルの定義」とは、その多数のオリジナル作品から得たインスピレーションとアイディアを組み合わせて新しい解釈・提案を生み出す事でしょう。

そのような定義でいけば「オリジナルなんて存在しない」という事は誤った解釈であり、全てのクリエイションの根源となる作家のエネルギーを無下にするものです。

インスピレーションとアイディアを組み合わせ、もがいて生み出した一次創作。インスピレーションを巨大なゼロとし、作者がイチから生み出すもの。これこそ「オリジナル」と言えるものだと思います。そして美しく尊い人間の営みと創作の美学であり、それこそが芸術の本質であると私は思っています。

キャラクターフィギュア製品や作品などはきちんと元になる作家を明示しています。ガレージキットなどでは著作権許諾などが必要になっており、販売の際にはしっかりと管理されています。キャラクターデザイナーや元になるアニメなどの作家性が保持されており、そこにはファンやユーザー達の、そのキャラを生み出した一次創作者へのリスペクトが強く感じられます。

この点では、スケール模型の世界よりキャラクターモデルの世界の方が1歩進んでいると言えるのではないでしょうか。

模型作品表現におけるオリジナル

一次創作こそがオリジナル、という、絵画・イラスト、映像、音楽などの他の分野では当たり前の基準を模型に当てはめてみると

・フルスクラッチ作品

これのみがスケール模型作品表現における一次創作・オリジナルと言えるでしょう。
この理屈で行くと、プラモデルなどを含む一次創作造形があるものは二次創作、プラモの改造作品などは三次創作になりますでしょうか。

フルスクラッチモデラーのジェラルドウィングローブがなぜサーの称号を与えられたのか。そこを私達は考える必要があります。模型表現の文化をもう一段階高いレベルに上げるには、そこを避けては通れないのです。

以上、以前書き足りなかった部分を補足する意味で書いてみました。

模型作品にもライセンスをつけよう


最初に書きましたが、この記事は「私の文芸作品」としてクリエイティブ・コモンズライセンス」で公開します。この考えに賛同する方、広めたい方は、引用元とライセンスを継承して明示する限り、改変も整理も再配布も再公開も自由です。

私の考えをベースに、さらに独自の解釈を加えて発展して行ってもいいでしょう。そうやって模型作品にも模型に関する文芸作品にも著作意識が生まれて広がると良いと思っています。

ちなみに私の模型作品はクリエイティブ・コモンズライセンスではありませんよ。(笑)ただ、キット化(=商用化)されたものは別です。商用化されたものはユーザーが自由に改変するライセンスを買っているのと同じなので改造・改良するのは自由ですけどね。そこはきちんと分けて考えてます。

ではまた。

関連記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?