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母の日 不器用だけど伝える意味
季節も五月に入り、だんだん暑くなってきた。
街の中を自転車で移動していても人の流れが少しずつ増えてきているように見える。
ゴールデンウイーク、どこかへ出掛けて体に溜まった疲れを癒そうとする家族は多いはず。
私は、いま、マンションで一人暮らしだ。年上の兄は二十年前に結婚して
離れてしまい、
実家の父と母が近くの府営住宅に暮らしている。
いま勤めている会社には入社して二十年が経つ。
職場には、毎日、二時間前には着いて仕事の段取りを一早く確認、周りの人たちには常に気を配り、自分の感情を抑えて精一杯やりました。
振り返れば仕事にばかり向き合い、あまり父と母のことを思いもしなかった。
ケータイに電話がかかってきても返事に出ないことも幾度もありました。
ところが、自分が五十歳に近づくにつれて気持ちに変化が出てきた。
結婚もせず、家庭も持たず、仕事一筋で歩んできた自分の新しい願望の芽生えかも(笑)
会社人間として上手くやってこれたのも父と母が陰でしっかり支えてくれたおかげだとつくづく感じてきた。
以来、実家の父と母に度々連絡するようになり、ケイタイにメールが入っている時でも返事を送るようにした。
いままで出来なかったため、これからは二人にお返ししたい思いで一杯だった。
ゴールデンウィーク明け、最初の週の日曜日が母の日だ。
昔、父と母と実家で食事をした時、焼肉だった記憶が残っていた。
早速、近くの飲食街に焼肉店を確認、「五月八日、外で一緒に食事どう?」
誘いのメールを送った。
半日経ってから、「五月八日大丈夫」の返事のメールが届いた。父や母にしてみればこちらから食事に誘うとは不思議に思っているだろう。物理的距離を考えると無理はないかも。
私から見れば父と母のことがやけに気になります。この歳になってくるとむこうが子供でこちらが親のような関係であるかも知れません。口では表現できない感覚ではないかと。
五月八日、母の日だ。私は一足早く自転車で予約しておいた店に着き、二人が来るのを待った。
日曜日ということなので大変な混雑。
待合場所で座っていると父と母がやって来る。
二人とも表情を見ると元気だ。
生活にも余裕があると思えないが。、二人で頑張ってきた我慢強さが見られる。
二人と一緒にテーブルに座り一息つく。「仕事はうまくいっているの?」
母がたずねる。普段、顔を合わさないのに言葉をかけて気遣ってくれる。
「仕事は大丈夫、調子はいいの?」私も言葉を返す。
テーブルの料理を挟んでお互いの近況を語り合う。
母の口から出る言葉が一つ一つじーんと胸にこみあげてくる。
「これからは仕事が休日の時でも一緒に外で食べたり、実家に来てな」
母の隣にいる父が言ってくれる。
親って本当にありがたい。こんな無愛想でバカ息子のことを心配してくれるなんて。
いままで何で言葉を交わそうとしなかったのか。自分でも納得できなかった。
カバンの中の一通の封筒にお金を入れている。何を送ろうか分からなかったので恥ずかしいが、自分なりのプレゼントのつもり。
「母の日おめでとう、こんなことしかできないけど」
そっと差し出した。
「ありがとう、大事に使うね」
母の顔から笑みがこぼれる。この時、確かめ合いました。お互いに今までにはない絆が強く結ばれたことを。
今日、二人を一緒に食事に誘い本当に良かったと思っている。
いつまで経っても家族はかけがえのない存在なんだと。私はこう認識にさせてくれた父と母に心から感謝する。
「ありがとう」と。
不器用な自分だけれど、これからは二人を大切に守っていくつもりだ。
心の中で呟きこう言い聞かせた。
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