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第4回目note投稿 回転寿司にはなく小僧寿司にはある大事なもの

寿司業界の市場には3つのタイプがある。回転寿司・デリバリー・テイクアウトだ。現在の動向をみると回転寿司が業界首位を占めている。

1  FOOD&LIFECOMPANIES   
 売上高 2、049 単位:億円
2  くら寿司
    1、358
3  カッパ・クリエイト
     648
4 元気寿司
     382
5  アトム
     321
6  魚力
     320
7  ジー・ティスト
     197
8  銚子丸
     177
9  魚喜
     108
10 小僧寿司
      61


という順位になっている。

私の住んでいる街でも11軒回転寿司のお店がある。
街の中を歩いていたり、自転車で移動していると家族連れ、若い男女、年配者と幅広くお店に入っていったり、食べている光景をよく見る。

席の端にあるタッチパネルで注文することで気兼ねなく、好きなタイミングで商品を食べれる。食べた後の皿が積みあがってもカウンターにある皿ポケットに入れると回収され、水で洗い場まで運ばれていくので衛生的。皿数はデジタル表示され、スムーズに精算、手軽に寿司を楽しめる。

確かに消費者の立場からすれば便利であり、値段も格安均一価格(99円均一や100円均一、150円均一)が多いので、1000円~2000円あれば新鮮なネタを味わうことができるだろう。

私も感染する以前に職場の友人と一緒に回転寿司に行ったことがある。時間を待たずにレーンに運ばれてくる商品を食べられるので他の友人はワイワイしながら満足そうな様子。

けれども、私にはこのリーズナブルな値段で便利な回転寿司が味気なく感じられた。自分の寿司に対する意識は何かといえば、祝い事や節目で食べられる伝統食であり、『寿司-日本の食文化』というに概念に定義する。子供の頃の贅沢感、特別感という家庭の食文化を創ってきたのは紛れもない事実であるから。

私の寿司というのは家庭で食べる味に位置する。これまで最もご馳走になったと言えば一番に「小僧寿司」だ。10代~20代の頃、自宅のテーブルで食べたというのが今でも脳裏に焼き付いて離れない。小学生の時、月に1度か2度
父や母の仕事の休日や自分や兄の学校の休校日に美味しいものを一緒に食べようと決めていた。

私個人、寿司は好きだ。寿司には1度食べると2度食べたくなる食感をそそるような味がある。不思議に何度食べても飽きない味を持っている。たぶん、日本人好みの食べ物になるというのは間違いないだろう。
私はこの日が楽しみだった。寿司が自宅で食べられる身近な存在になったというのは寿司の味の虜になった私にとって本当に有難かったと思う。

自宅から30分行った場所に小僧寿司のお店があった。父と一緒にここへよく買いに行ったものだ。お店はこぢんまりとした外観で店員が2~3人いた。カウンターにはズラリとメニューが並んでいる。人気のまぐろやサーモン、えび、タコ、という単品から大皿まで揃っていた。見ているだけで好奇心が湧いてくる。
「どれにしようかなぁ」と私は言った。えび、タコ、穴子が私は大好物だったので父にせがんで単品を注文。私は早く家に帰ってこのご馳走を食べたくてたまらなかった。
父の方は大皿を注文。家族揃って食べるにはぴったりといえるもの。値段的には高いものではなく、外食と同じ程度だったので無理な感じではない。注文して10分ほどで新鮮なネタを使った寿司が出来上がる。
早速、家に持ち帰りテーブルの上に買ってきた寿司をドサッと置く。
「じゃ夕食にしよう」 「いただきます」とみんなで食べ始める。口に入れた瞬間に感じる。やはり出来上がりなので美味しい。家族揃って休日を楽しめる。
これが家庭文化の1つだ。


小僧寿司が家庭の食文化の創造に偉業を成し遂げたのは言うまでもない。寿司という高級食で価格破壊を起こし、私達庶民のもとへ低価格で定着させてくれた貢献度は計り知れないもの。これが無ければ回転寿司の台頭もなかったのだから。

回転寿司というのは、リーズナブルな値段で自分が食べたい分だけ食べられる、入ってすぐに食べられる、1人で入りやすい等のメリットがあるが、
文化というのはここには存在しない。
私は皿で運ばれてくる回る寿司には楽しみ、喜びという感動がなく、食べたいという魅力が感じられないのだ。
寿司というのは家庭の食文化を担う食べ物として必要である。

寿司業界は長い間、回転寿司が価格の安さや寿司が回るというエンターテインメント性を武器に成長しており、持ち帰り寿司「小僧寿司」が経営不振になったのは無理もない

30年前、私が10代の時は2300を超える店舗を展開していた勢いであり、地元ではあちらこちらに見られたが、残念だけど今は全くお店がない。食べたくても食べられないので悲しくなってしまうのだが… … …。

けれども、感染拡大により、デリバリー事業が飛躍的に業績を伸ばし、経営危機にあった小僧寿司が復活の兆しを見せたのはうれしい話。潰れかけ寸前にまで追い込まれ、どん底を嫌という程経験したのだから、今度はこれをバネにして這い上がってくるはずだ。純粋にも昔からの馴染みの深い企業なのでここで頑張って残ってほしい。

私個人としては、10代の頃からみんなが一緒になって休日を家庭で楽しみ、人と人とのつながりを創ってくれた意味でも家庭の食文化の1つとしての思い出が今でも残っており、それが忘れられない。


文化というものは大きな意義を持っている。これは、今後未来にかけて受け継いでいかなくてはならないものだ。小僧寿司が家庭文化の1つの担い手として大きな存在理由を持ち再出発して大きく飛躍するのを心から願っている。

今回、家庭の食文化として小僧寿司での体験に対して自分なりに考え、第4回目のnoteの投稿にしたい。
もし、興味のある人は読んでもらい何かの参考にして頂きたい。1人でも家庭の食文化として寿司を味わい、家庭文化の輪を少しでもつなげてくれれば幸いである。























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