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快晴に死す

最近帰りが遅くて空の写真が撮れていません。いえ、例え明るい時間であっても撮っていないのかも。私の街では冬の空は雲一つない快晴。吸い込まれそうなほどの青。それ以外に何もないから、カメラを向けてみてもただの青い画面になってしまいます。空を撮るには雲があったほうが映えるのです。

でもそれはあくまで写真の話。実際に“魅せられる”のは冬空。あの空に溶けてしまえたら、なんてクサいことを本気で思うこともあったり。「快晴」は一番写真にするのが難しい空なのではないでしょうか。誰も切り取れやしない、小さな画面なんかには収まらない。

閑話休題。そんなんで近頃の帰り道は、青空でも夕焼けでもなく、星空の下です。とはいえこんな街でそんなに星が見えるわけでもないのですが。

まず月。今日の月は黄色くて大きくて!でもその数刻後に家の中から見たソレは普通の白い月で。また“一瞬”を見たのだと感じました。

それから一際明るい金星に気づいて、首をぐるりと回せばオリオン座。明るい星を3つ繋いで、冬の大三角を見れたらまずは満足です。

地学の先生が今度は星のレポートを課題に出しました。周りより少し暗い夜の広場で、寒さに少し身を震わせながらじっと目を凝らします。だんだんだんだん、色々な星々が見えてきます。星を見るのも楽しいんだなぁとぼんやり思いました。

空を見るのは好きです。晴れもいい。かの歌みたいに、空に憧れて空を駆けていきたい。

友だちのKはかなり軽々しく「死にたい」と口に出します。勿論本気ではなく、恥ずかしい時やいたたまれなくなった時の手っ取り早い感情表現といいますか。そんな彼女の前で空が綺麗だ、と言うと「お前が言うとガチに聞こえるから」と言われます。空が綺麗だと思うことにガチも何もあるものか。それとも私が空に死にたいと思っているように取っているのだろうか。

たとえ願っても叶わない話だけれど。空に形は無いから触れられない、どこまで行っても私の形があるばかり。それはとても哀しい。空は決してさわれない夢。

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