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空の青さを知る人よ

その映画のタイトルを初めて見たとき、「私は知っている」と驕りにもとれるかもしれないが思った。確かに普通に生きていれば誰もが知っていることだ。が、別にそういう意味ではない。

私はその映画についてほとんど知らない。よって、その言葉が作中においてどの意味合いを持っているのかはわからない。「誰もが知っている事柄」の意味であればそれは「全ての人に」だろうし、「それを知っているあの人へ」にもなれる。あるいはその両方かもしれない。

「青さ」なのかは分からないが、私は空の青いことを知っている、と思っている。

しかしそれは他人がいなければ自覚できないことかもしれない。私はよく無意識に空を見上げてしまう。綺麗な空だ、と口に出す度に、「あなたは空を見るのが本当に好きなのね」「あー、そういえばそうだね」と苦笑混じりに返される。あまり空に関心がないらしい。いや、私も特別あるわけではないと思う。「綺麗だ」と認めているだけだ。では皆はそれに気づかないのか?それとも「それくらい」のことに心を動かす必要はないのか。ああ、また能天気やら安い幸せだとやら言われる訳だ。

穏やかな性格だと言われることがある。怒らない人間だ、とか。生憎だがそんな聖人のようにできた人間ではない。他人の挙動で心の針を負に振るなんて疲れるばかりだし、「こんな奴に私の心を動かす方が癪だ」とどこか見下すような考えを持つこともある。空の青いのを嗤われるならば、「私はお前たちが知らないことを知っている」「その価値も知らないアンタに分かってたまるものか」と傲慢な考えを抱く事もある。果たして私は空の青さを知っていると言い切れるのだろうか?

文字でまとめようとすると色々なことが浮かんでくる。小さなことに気づくのは重要だと思う一方、細部まで気を回しすぎて疲れてしまうのを避けているのでは無いかとも思った。結局のところ、それぞれが思うように空を捉えればいいのだ。

こんな真夜中に話すことでもない、さあ、早く寝なければ。


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