見出し画像

秋。つれづれ、冬。

寒い寒い!一人ぼっち青暗い雨の下を歩いているとなんだか更に冷たく感じます。この中30分歩くのはムリだ!と堪らずバスに乗りました。そうこうしているうちにあたりは真っ暗。今日はすっかり冬模様ですね。数日前は秋を感じていたと思うのですが。

通学路ではいつも背中の重い荷物のために猫背気味。視線も下に下がってしまいます。そうして落ちている木の葉が黄色いことに目が留まって初めて上を見上げ、木々が色づいていることを知るのです。

それは大きなケヤキの樹で、四階建ての校舎と同じくらいの背をしています。もともと少し高いところに植えられていて、側のたった数段ほどの階段を昇るときには、自然と見上げてしまうような、そんな木です。

ある朝(月曜日くらいだったでしょうか)、その階段を昇ろうとして木を見上げて、すっかり葉の色が変わっていることに気づきました。まっすぐに伸びた黒い枝と、黄色い葉が対照的で、とても綺麗でした。そしてそれを下から見上げているという図になんだかとても満足感を得たのです。

紅葉は大木を下から見上げるのが良い。枝が黒いのも良い。サクラでは背が低すぎる、イチョウでは枝の色が薄い。モミジは何本もなければ見栄えがせぬ。

我ながら随分なこだわりようです。勿論紅葉は何を見ても季節が感じられてよいものですが、(イチョウ並木はいっとう好きです。一片も残さず美しく染まる葉!朝日、あるいは西日の傾いた日差しに照らされている金色の世界を歩くのは何とも言えません)このときばかりは本当にそう思いました。

さて、その日の夜だったでしょうか。父も兄も仕事から帰ってくるのが遅く、母と二人きりの夕食でした。テレビは惰性で流れていて、私は食事中あまり口を開かないものですから、静かな食卓です。食後にお茶を入れるのは私の役目で、ポットの湯が十分に赤茶に染まったのを見計らって(それはほうじ茶でした)、一つ目の湯呑みにそれを注ぎました。

ぴしぴし、と器から微かな音が聞こえました。湯に入れた氷が少しずつ割れるような、あの小さな音によく似ています。その茶碗は元々冷え切っていて、そこに突然熱いものが入ったからかな、寒かったんだなあとぼんやり考えました。

翌朝、家を出てふっと「冬の匂いがする」と思いました。それからすぐに、「いや冬の匂いってなんだよ」と自問して、もう一度空気を吸い込んでみます。なんだろう、確かに”そう”なのだ、と思ううちにあっという間に”それ”は薄れてしまいました。代わりに何か香水のようなにおいを吸い込んでしまって一人でむせて。周りに人がいたらさぞおかしく思われたことでしょう。もしかしたらそれは「匂い」ではなくて、肺に冷たい空気が入り込む「感覚」だったのかもしれません。いずれにせよ、季節が移っている証拠なようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?