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「鬼滅の服飾学」余滴④:ふたたび魘夢の服装について

「ふたたび」というのは、既にtwitterで魘夢のジャケットについて簡単な説明を書いたからなのだが、書いてから、あまりにも不十分な説明だったと後悔した。しかも、その不十分なtwが私にしてはめずらしく多くの方に閲覧いただいたため、少し怖くなったりもした。こうしてnoteで「余滴」を書き始めたのも、魘夢の服装に関するもう少しまともな説明をtwitterのように小分けにせずに書き残しておきたいと思ったというのが一番の理由である。

早速本題に入ろう。

まず、魘夢のジャケットに注目したい。色は黒。丈が長く、両サイドと後ろ身頃の中心の合計3か所に深いスリット(*1)が入った独特な形をしている。コミックでは、スリットはサイド2か所だけのようにも見えるが、アニメ第26話の4:18~4:27、8:27~8:28、9:11~9:20や劇場版(無限列車編)のポスターなどを見ると、どうやら、後ろ身頃にもスリットが入っているようだ。襟の形も変わっており、分類が難しい。シーンによっては、イタリアンカラーに見えなくもないが、全くそう見えないシーンもあり、ありふれた形のジャケットでないことだけは確かである。一昔前のヨウジヤマモトのように変形のジャケットを多く手がけるモード系ファッションブランドのコレクションを漁れば似たようなデザインを見つけられるかもしれないが、鬼殺隊の隊服同様、作者独自の創作と見てよいだろう。

一方で、ぱっと見たところ、ジャケットの下に合わせている縞柄のズボンのせいで、モーニングを着ているのではないかという印象も受ける。モーニング(morning coat)とは、昼の礼服の一つで、絶対にというわけではないが、下には縞柄のズボンを合わせるのが良いとされてきた【図1、2】。これが、夜の礼服である燕尾服(tailcoatあるいはevening tailcoat)になると、上下同じ生地で仕立てるのが良いとされているので、下だけ縞柄のズボンを合わせたりはしない。余談として、日本では、燕尾服が明治維新後しばらくは昼と夜の区別なく着られていたが、遅くとも明治末までには「燕尾服は夜のもの」という西洋のドレスコードが共有され、同時に、「燕尾服とズボンは同じ生地で仕立てなければならない」という注意が繰り返されるようになった(*2)。

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図1:明治39(1906)年の白木屋百貨店のPR誌に見られるモーニングの図

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図2:昭和6(1931)年4月号の雑誌『キング』に見られるモーニングの図

しかし、もう一度魘夢のジャケットに話を戻して、ジャケットそのものにモーニングらしい特徴があるかと言うと、モーニングのように前身頃の裾が後方に向かって大きく斜めにカットされてはいないし、モーニングにはサイドにスリット(ベント)など入らない【図3】。汽車の上の戦闘シーンでジャケットの裾がひらひらと翻る様子などを見ると、むしろ、燕尾服に近い印象を受ける。燕尾服は、前身頃だけがウェストまでと短く、中心にスリット(ベント)の入った長い後ろ身頃が燕の尾のようであることからこの名称が生まれた。前身頃が短い分、着用者の動きに合わせて、この燕の尾のような後ろ身頃が際立って見える。魘夢のジャケットは、前身頃も後ろ身頃も長いという点では、明らかに燕尾服と違っているが、両サイドのスリット(ベント)の効果で、燕尾服を彷彿とさせる軽やかな動きが出ている。

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図3:大正15(1926)年刊行の『洋服店の経営虎の巻』に見られるモーニングの図。後方に向けて斜めにカットされた裾の特徴がよく分かる。

『SPUR』2021年8月号の対談の中で、魘夢のジャケットについて「燕尾服とモーニングを足して2で割ったような」と言ったのは、以上のようなことである。

いずれにせよ、魘夢の服装は、当時の「勤め人」が着ていたありふれた背広とは一線を画したフォーマルなスタイルで、こんなにきちんとした服装で「人の不幸や苦しみが夢に見るほど好き」などとのたまうところに底知れぬ不気味さが漂う。顔面に施された道化のような模様もあいまって、いかにも禍々しい夢先案内人といったところだ。あえてドレスアップしてことに当たっていると考えれば、それだけ十二鬼月としての「活動」にプライドを持っていると読み解くこともできるだろう。

以下は、覚書として書いておくのだが、魘夢の服装(あるいは魘夢というキャラクターそのもの)は、おそらく、ゴシック的なサブカルチャーの系譜と無関係には語れない(*3)。青白い肌、黒を基調とした決してカジュアルな印象を与えない服装、どことなく不気味で謎めいた雰囲気、超然とした振る舞いといった特徴を持つキャラクターは、ゴシック的な世界観の漫画やアニメ作品によく登場する。燕尾服に関して言えば、執事や執事的位置付けのキャラクターがこの服を身に着けていることが多い(*4)。という話をするためには、「ゴシックホラー」と「ゴシックファッション」と「和製ゴシック」の複雑に絡み合った関係性を整理しないといけないので、今は思い付き程度のメモにとどめておきたい。

*1:ジャケットの裾に入れられる切れ込みについては、「スリット」でなく「ベント」という言葉が使われることが多い。「ベント」と「スリット」の厳密な違いは、前者は切れ込みの始まり部分の生地に重なりがあるのに対し、後者は重なりがないとされるが、これら二つの言葉は区別せずに用いられることもある。
*2:例えば、「流行案内」『家庭のしるべ』1905年2月号、p. 12や宮本桂仙『紳士之顧問:洋服着用法社交之指導』博文館、1906年、p. 26を参照。ちなみに、西洋で、「燕尾服は上下同じ生地で仕立てるもの」とされるようになるのは19世紀後半以降のことで、それ以前の図像史料に登場する燕尾服は、上下別の色柄であることの方が多い。
*3:『SPUR』の対談記事中でも触れたように、「鬼滅の刃」には、①太陽光を弱点とする人外の魔物 ②再生能力があり簡単には滅ぼすことができない ③血液がパワーを得るための重要な糧となっている ④その魔物と特殊な形で身体的接触を持った人間もまた魔物化してしまう など、ゴシックホラーの代表選手とも言える吸血鬼系ダークファンタジーの流れを汲む作品と言える側面がある。
*4:よく指摘されることとして、西洋でも、日本でも、執事(バトラー)は燕尾服を着て日々の業務に従事したりしていなかったが、一般に、執事モノの作品で執事は燕尾服で登場することが多い。
図1:『流行』1906年11月号より
図2:『キング』1931年4月号より
図3:辻清『洋服店の経営虎の巻』洋服通信社、1926年より
ヘッダー画像:『SPUR』2021年8月号より



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