映画『青い、森』

20代半ばで亡くなったギヨーム・ルクーの遺作に、ピアノ四重奏曲がある。

とても思わせ振りに始まって、これからただならぬ音楽が展開されるのだな、という気配に満ちているのだけれども、その後の展開はやや冗長というか、広げられた大風呂敷は畳まれる暇もなく、未完成の絶筆となってしまう。

映画『青い、森』を観終わって、その事を、真っ先に思い出した。

映画館でたまたま目にしたチラシが、余りにも素敵だったので、とっても期待して観たのだけれども、チラシが目に留まった瞬間こそがカタルシス、という作品だったと思う。

未完成映画予告編大賞というコンペティションの受賞作という事なので、そもそもが、本編はおまけみたいなものなのかも知れない。

そうと知って観ていれば、また違った味わい方もあった筈なのだけれども、何しろ一つの映画作品として、完成された世界を観られるものと期待していたものだから、エンドロールが流れて始めた時には、正直、呆気にとられてしまった。

寿司屋で、がりとあがりだけでお勘定、なんて事が起きたと言ったら近いだろうか。

何か素晴らしい魅力的なストーリーがなければよい映画とは言えない、なんて観念があるならば、それはきっと病だから、克服されてよいものだと思う。

だから、この映画にドラマを期待して観るならば、それは観る側に問題があるのだろう。

しかしながら、作り手自身が、この映画を仮にも筋だったものに仕立て上げようとしたのならば、何か始まりそうで何も始まらなかったもどかしさは、作り手側にある問題だった様にも思う。

選んだドラマに対して尺が圧倒的に足りていないんじゃないのかな。

だけれども、この映画が、仮に全何話シリーズのプロローグだったとしたならば、これは次回がとても楽しみだ、と素直に言えそうな雰囲気は持っていた。

この映画のクリエイターは、将来を期待させる天才なのだと、つくづく思う。

ギヨーム・ルクーのピアノ四重奏曲は第一楽章のみ遺して未完成であるけれども、完成された名作とされる音楽の中にも、例えば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の第一楽章とか、ドヴォルザークの新世界交響曲の第四楽章など、聴けば誰もが知っている音楽にだって、素晴らしい着想が、その後の音楽の展開とは、本当の所上手く絡まずに切り離されてしまった事例は珍しくもない。

圧倒的な着想は、放棄するには惜しいものだけれども、案外に展開するのが難しいのは、音楽も小説も、そして映画においても、変わりがないのだろう。

とっても観ていて不満があったのは、それだけ素材が美しかったからだと思う。

良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういう尺度は抜きにして、純粋に、もっと長い時間をスクリーンに拘束されたかったのだ。

あの美しい情景を、何の結末も期待せずに、もっと静かに眺めたい。

この映画は習作として、大作が生まれたら、どんなに嬉しい事かと思う。

結局、好きな作風だったのだな。


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