音楽:JYOCHO『しあわせになるから、なろうよ』を聴いて

言葉も音符も、少し奇っ怪な、尖ったチョイスがなされている所も多い筈なのだけれども、出て来る音楽は、柔らかくて、余りに優しくて、朗らかで、だからこそ、こしが強くて、雰囲気に流されない、覚めた意識が隅々にまで行き渡っていて、淀みがない。

情緒というものは、そもそも、そうやって、醸し出されるものなのだと思う。

一聴して美しいと分かる音楽は、しばしば、解り易す過ぎて、飽きるのもまた、存外早い。

JYOCHOの音楽を初めて聴いた瞬間は、これは直ぐに過ぎ去ってしまうかも知れないけれども、心底好い雰囲気の音楽だな、と思った。

「みんなおなじ」をテレビ・アニメーションのエンディングで聴いた時に、そんな風に思いながら、何度かエンディングをリピートして聴いていた。

最初は、やっぱり雰囲気が好ましく感じられたアニメーションの残り香を、音楽に聴いていただけだったかも知れない。

このエンディング・テーマ・ソングを聴けば、物語の素敵な場面のあれこれが、走馬燈となって甦る。

それが、いつしか逆転していたんだよな。

ED曲を思い出させてくれるシーンを、ドラマの方に求める様に。

あぁ、これ、決して雰囲気の音楽じゃないな、と認識したのは、更に、もう少し、後だったかも知れない。

それくらい、優しい音楽だった。

押しの強さで畳み掛けて来るんじゃなくって、じわじわと吸い込まれて行って、気が付いたら頃には、ど壺にはまっている、最高に強かな奴だ。

怖い才能だな、と思う。

聴けば聴くほどに、案外に狂気があって、優しい顔しているけど、時々、心からは笑ってない。

それは、作り笑顔と言うのとも違って、シニカルとかアイロニカルとは距離をとった、葛藤の様なものが押し隠されている感じがあった。

他者を癒す者には、そういう、焔がが常に内に揺らめいている。

『しあわせになるから、なろうよ』は、全編が、正に、そんな揺らめき。

テクニックとか、スタイルとか、そういう専門的な事や、音楽の歴史の文脈でJYOCHOがどんな位置にあるのか、みたいな難しい事はこちらには全く解らない。

けれども、しれっとやって、創意や意匠は隠されている、くらいの想像は、容易に掻き立てられる音楽で、骨太、強靭だ。

余りに強かだからこそ、繊細で、少しの綻びでも命取りとなりそうな、絶妙な均衡の上に、悠々と微笑んでいる。

菩薩か聖母か、そんなところかも知れない。

皮相な事を言えば、このバンドは、特に、フルートが凄いよな。

否、全員、凄いんだけど、どうしてあんなに嵌まるかな、ってくらい異質な存在の筈なのに、JYOCHOというバンドのカラーを見事に決めていて、調和の女神って感じがある。

楽器よりも人間の息を感じさせる音。

あぁ、呼吸なのか。

このバンド、凄くて、変なのに、どうにも自然なのは、きっと呼吸なんだな。

息が合う、なんて言葉を、僕らは平生、簡単に使うけど、それを呼吸にまで立ち返って考えたりしていない。

凄いミュージシャンが凄いだけで終わる時って、大抵、間が悪い。

間が合わないんだ、演者と聞き手の間合いが。

JYOCHOは、とっても間合いが好い。

それは、リズム感の良さとか、リズムの切れ味とか、彼らの凄テクに隠され勝ちだけど、一緒に息が吸える音楽、って好さだ。

そういう点では、相当に、和テイストな音楽で、知らず知らずに心地よいのかも知れない。

そんな音楽が書けるのも、奏せるのも、それは凄いとしても、何より、感じさせないのが、怖いと思う。

しれっと癒しバンド。

JYOCHOって、つくづく、好いバンド名だ。

音楽を聴くのが億劫で、このところ、ちょっとアニメに回避していた節があったんだけれども、見事に引き戻されてしまったな。

『しあわせになるから、なろうよ』

これは、大変な野心作だと思う。

自信があって狂ってなくちゃ、こんな音楽は出て来ない。

雰囲気に呑まれて聴き流しちゃいけない、好ましいでは済まされない、でも、聴き流す人にも等しく優しいアルバム。

控え目だけど大胆不敵な音楽が、やっぱり、どこまでも、心地よい。

https://jyocho.com/

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