映画:夏目友人帳 石起こしと怪しき来訪者

劇場版というのではなくて、テレビシリーズサイズの新作を二題上映するという、コンパクトな映画。

映画と言うよりも、通常運転のテレビアニメをわざわざ映画館で観る、という企画と言った方がよい。

それでも、やっぱり観たいと思う人しか来ないだろうし、また、そういう人はきっと沢山いるだろうとも思う。

そして、一度だって、そんな気持ちを裏切る回がないのが、夏目友人帳という世界じゃないか。

観終わって劇場を後にしたら、若い女性の二人組が、“本当に癒される” “汚いものがなにもない”と感想を言い合っていた。

全くその通りで、それ以上の何物もない、とも言えるし、わざわざ映画館で観るものか、とも思うのだけれども、しっかり、既に二回観に行った。

夏目友人帳の存在を知ったのは、昨年の9月くらいだったから、未だ半年も経っていないのだけれども、テレビシリーズは、もう何度観たか分からない。

ただ、原作と、二年前の劇場版の映画は、未だ一切観ていない。

それまで観てしまったら、この世から楽しみがすっかりなくなってしまいそうな気がして、大事に機会を取ってある。

今回の新作は、第1シリーズからは、もう12年も経っているそうなのだけれとも、世界観は少しも変わらずに保たれていて、しかも、古びることもない。

何か、田舎に帰る様な、ホッとした気持ちが、実際に田舎に帰るよりも、強く感じられる世界だ。

アニメーションには、現実逃避の作用が強くあると思う。

それは、アニメーションに限らず、音楽にだって、演劇にだってあるものだし、旅行に行くのも、スポーツに興じるのも、ある程度はそうだろう。

そういう作用は、人間という生き物には、あるべきものなのだ。

そして、夏目友人帳の世界に一度でも足を踏み入れてしまったならば、もうその世界から抜け出す事など出来はしない。

現実も、そこから逃避する事も、すっかりパラレルになった世界。

抜け出さずとも現実に戻って来る事が出きる、そんな作品だと思う。


夏目友人帳に出会って以来、世の中が、どうにもしようがなく美しく見える様になった気がする。

現実社会は、アニメーションが描く虚構の世界の様には、綺麗なものではあり得ない。

それでも、やっぱり、どうにも不可分なのだ。

何時だって、話が綺麗に纏まり過ぎているし、素直であるという事、健気であるという事に、余りに力が宿り過ぎている。

それが、受け付け難い人だって、沢山いるに違いない。

ただ、そういう人生観をも引っ括めて、そっと優しく傍にある世界。

僕らが作品を愛しているのか、作品の方が僕らを愛してくれているのか、やっぱり、不可分だ。

別に、夏目友人帳という作品が、誰にもそういうものであるべきだとは思わない。

けれども、誰の人生にも、そういうものがあって欲しい、と願わずにはいられない。

そんな気持ちに襲われる、特別な映画ではないけれども、大切な作品。

要するに、無条件で、好きなんだ。

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