今日は、ごみの日
って、記念日とかではなく、単にごみを出す日。
僕の住まう街は、平日は、毎日、何かしらのごみの回収日だから、ごみを出す日は、週5日。
今日は、古紙回収日。
小さな段ボール箱を二つ、潰して出した。
朝の9時頃だったかな。
梅雨の晴れ間なのか、昨日までの雨が嘘の様に、陽射しが路面を照らして、晴々とした気持ちがして、心地よいごみ出しだった。
今日一日がよい日となる事を、祝福する朝陽だ。
そんな気がした。
昼から面接があるので、ちょっと憂鬱な気分だったのも、太陽の眩しさの前には、溶けてなくなってしまいそう。
日本には、捨てる神があれば、拾う神もあるという。
まあ、気楽に構えて、果報は寝て待て。
そんな万事神頼みみたいな言い方は、宜しくない気もするけれども、僕は、自分の自発的な活動や自由意思も、自分の持ち物だとは思っていないから、こういう言い回しは嫌いじゃない。
待てば海路の日和あり、くらいの方がポジティブだったな、とは思いつつ。
でもね、古紙の回収日をごみの日って言ったのは、今、随分に、後悔している。
捨てられるものではなくって、再生するものなのだから。
あの段ボールには力強い生成の未来が待っている、と送り出さないのは、何とも失礼じゃありますまいか。
Webの一次面接も終えて、回収を待つ段ボールを不意にもう一度眺めに行った。
人間どもに捨てられたり、拾われたりするほど、わしらは落ちぶれてなどおらんぞよ。段ボールはそんな風に言いたげに、泰然と回収を待っている。
僕も、あんな風に生きたいねぇ。
日本の神は、Godとは違うという事になっているのに、Godは神という事にもなっている。
これが、誤訳なのか名訳なのか知らないけれども、このややこしさは、いつまでも大切にしたいものだ。
奥ゆかしさとか、奥深さは、如何に美しく過つかに掛かっている。
しかし、三波春夫が言った神様って、あれはGodだったのかな?
何れお客様は人間様だし、ゴミからすれば人間どもか。
あぁ、また、ごみって言っちゃった。
けれども、ごみより古紙が偉いなんてのも、僕の勝手な言い分だ。
嫌らしいなぁ、人間の考える事って、つくづく。
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