人を見下すことができなかった
きっと信じたかったんだろうな
劣ってる人なんかいないって。
不公平が嫌だから。不平等が嫌だから。
みんな平等って信じたかった。
だから、自分を下に置いてまで皆をすごい人だと思おうとした。みんなすごい人だと思いたかった。自己肯定感もないから人を見下したら自分まで価値が下がると思っていた。人を見下せる立場じゃないって思っていた。同情しちゃうから人を見下したくなかった。
世間知らずだった。自分が一番バカだと思っていたかった。
だけど、どうしても劣ってる人がいるって、気づいちゃった
どうしてもバカだ。
バカという概念は、自分目線の主観との差異でしかない事もあるけど、
そうじゃなくてどうしようもなくバカな奴がいる。理性がない。そう感じる
自分もどこかの誰かから見たらバカだろう。
価値観の違いに理解も許容も無ければ誰でもバカ
なんで人を見下すことは良くないこと
なんて愚論にぼくは洗脳されていたんだろうね
こいつアホだ。と思えるようになってからかなり気が楽だ。素直になるって、すごくいい事だ。アホみたいなことも尊重して
アホなヤツにも全肯定してきた。自己卑下ばかりですごく苦しんでた、自分を守るためのはずが、自分を犠牲にしていた。
どんな意見も理解しようとした。受け入れて平等になるように。
見下してしまえば、アホがなんか言ってんな。で済むのに、同情してしまうのだ。
お前それじゃバカにされちゃうよ。どうしてこう考えないんだよ!って修正を求めちゃう。
他者は人を変えられない。
変えられないもんを望んでいても仕方ない。
他人の人生だ。勝手にやらせとけばいい。
素直にアホだって思えるようになったら自分が見下されることにも納得できるようになったよ。価値観の違いも納得できるようになった。
見下すと表現したが、感覚的には素直にアホはアホだと認識すること。認識で少しでも楽になろう
ーー
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