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映画「関心領域」走り書きの感想

あの家族は私たちである

この映画で映し出されているのは、あまりにも「生活」それそのものだった。食べ、遊び、愛し合い、そして眠る。ありのままが、なんの脚色もなくレンズに写されていた。

それはありふれたものであり、容易に鑑賞している私と同一化できた。

だから見終わった後、ちょっとした変な感覚を覚えた。周りの人も、そして自分もあの家族と同一化した。食事をする、トイレに行く、手を洗う、その動作一つ一つがあの映画の家族と同じであり、自分があんな風にレンズに写されているような感覚になった。結果として、私自身も「関心領域」がしっかり限定され、狭められていたことに気づいた。当たり前のことだけど、そうやって私たちは日々生きている。

今日着ているファストファッションがどんな風に繕われたのか、日本橋の綺麗なトイレから流れていく排泄物の行く末、今食べているハンバーガーの肉がこうなるまでの過程……。

知らないことがたくさんだな、ということではなく、無意識的に意識しないようにできている。目の前のモノがどうやって今ここにあるのか、なんとなく知っている。けれど、いつもそれをまじめに考えたことなんてない。

「関心領域」がぶわっと広がり、そしてすぐ元に戻った。

だって、気が狂ってしまうよ。別に、自分が生き、消費しているもの全てが全てにおいて何かの犠牲の上に成り立っている、とは言えないはず。しかも自分は対価を払っている。けれど、自分の認識の外側に追いやられている過程があるのは明らかだった。関心を持たなくても生きていけるのだから、なおさら。

あの家族は知っていた

はじめ私は、主人公以外の家族は収容所でおこなわれていることを知らないのだと思っていた。例えば「縞模様のパジャマの少年」では、収容所管理者の家族が、悪臭に疑問を持ち、親衛隊の発言を聞いて初めて収容所の意味に絶句するシーンがあった。(かなり前に見たので間違っているかも。)

けれど、あの奥さんは知っていた。ユダヤ人が燃やされていることを。知っている上で、正気を保っていた。だから、この映画の言う関心の領域とは、知っている知らないの問題ではなく、知っているのにその意味を考えないことなのだろう。

ここでふと思い出したのが、「メイドインアビス」の烈日の黄金郷編。あの物語でも、絶望の淵に立たされた探索隊たちを救った存在が、人としての倫理を揺るがすものであること、それに全員が気づいていた。しかし「狂った」のはただ一人だった。彼はただ一人、正しさを捨てなかったからこそ狂ったのだった。

彼を除く探索隊たちと、「関心領域」の家族を比べてみると、罪悪感がわずかでもあるか、完全にゼロなのか、という違いがあるはず。無関心とは、対象への認知はあったとしても、体制のプロパガンダ、刷り込み、イデオロギーの内面化といった方法で、「思考する必要が無いもの」として透明になっていることなのだろう。

わからなかったシーン

1. 奥さんがチェストの上に見つけたメモには何が書いてあった?なぜ燃やした?

りんごを密かに収容者へ届けていた女性使用人と何か関係が?それとも、いなくなった母からの伝言?「アウシュビッツの実態を知ったからもうここにはいられない」的なことが書いてあって、それを読んだ奥さんは、「何言ってんだこいつ」と気に留めなくて燃やした…とか。

2. 最後、現代のアウシュビッツ後の掃除風景は何を意味している?なぜ挿入された?

「目を背けるな」的なメッセージと取ればいいのだろうか?アウシュビッツ博物館であろう場所で、清掃が行われている。博物館とは伝える場所であり、それを清掃するということは、無関心とは真逆の行為だろう。そしてそのシーンが、持病なのかストレスなのかわからないが、嘔吐に苦しむ主人公の合間に挟まれているのが謎。暗闇に包まれる廊下を主人公が見つめているが、あれは、ふと己の行為を客観的に見つめてしまったから?

3. 主人公の部屋に招かれた女性は何?その後の地下トンネルのシーンはどういう意味?

これ全然わからない。性交渉の相手にされた?地下のシーンではペニスを洗っているようにしか見えなかった。だとしたらなぜあのタイミングで?

音について

始まった時、途中に挟まれる謎シーン、エンディングで、とにかく緊張と不安を煽る音がねっとりじっくり聞かされた。

あの音をずーっと聞いていることはできなくて、音のゲシュタルト崩壊のようなことが起こってくる。慣れてきちゃう。はじめは、なんだこの音は、何を意味しているんだ、と耳を立てて聴いているけど、だんだん、長いな…まだ終わらんのかな…ってなってくる。これこそ、あの家族のように一日中確実に「異様な音」がしているのに、気に留めなくなることを意味しているのかも。

映画を観て調べたこと(調べたいこと)

・アウシュヴィッツ博物館

[Auschwitz-Birkenau](https://www.auschwitz.org/en/)

[アウシュビッツ博物館ガイド、中谷剛さんに聞く。「二度と、このような歴史が繰り返されないために」](https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f45b29dc5b64f17e135977a)

本当に無知を晒すことになるけど、アウシュヴィッツがドイツ国内でなくポーランドにあったことを知らなかった。差別を「なくす」ことはできない、「みつめる」ことなのだ、と言う「同館唯一の日本人ガイド・中谷剛さんの言葉は重い。私は優生学思想を持つ人と対面した時、冷静に議論ができるだろうか。そもそも自分の中にその思想が隠れているかもしれない。

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