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までっこライフ



少し前からスローライフという言葉をよく聞くようになった。意味は効率やスピードを重視するのではなく、のんびりと過ごしながら、人生を楽しみ、生活の質を高めようとすることらしい。
東北弁なら「までいに暮らす」ではないか?略して「までっこライフ」
若い人達は最近あまり聞かないかもしれないが、
「色っこぁまでーにまでーに塗れよ」とか
聞いた気がする。
 「までい」という独特の響きのある方言は、「ていねいに」、「手間ひまを惜しまず」、「時間をかけて」、「心を込めて」と言う意味で、「食べ物は、までいに食べなさい。」「子供は、までいに育てよう。」「仕事は、までいにしろよ。」などと使われる
どうやらこの言葉は八戸だけでなく、東北全般で使われているらしい。
「真手に」とも使われるようだ。

どうしても現代は便利さや速さが求められ、
東京優位と思われ、東北はダサい、遅れてる、訛ってるというイメージもあるかもしれないが、これで良いのだと開き直る時期が来ている。
むしろ自慢になるはずだ。
婆さん達が育てた無償の野菜や米はいつまで食べられるのか。近所のおせっかいおじさんが狭い通りを草刈りや枝払いをいつまでしてくれるか?
こういう「までいに」世話してくれる世界があと何年続くだろう。
そういう世代が居なくなってしまったら…と私は今から恐ろしい。
スローライフとか「までっこライフ」とは人と自然が共生する真摯な姿勢なのかもしれない。
「までいに」に暮らして命をつないできた東北に地震災害や原発からの避難、豪雨災害と痛ましいことが続いている。自然災害は私たちにはどうすることも出来ないが、人災で起き得る事は今すぐ無くして置いたほうが良いと心から思う。

食べることも「までいに」作ったものが本当に美味しいとつくづく思うこの頃。ファーストフードやお惣菜などもたまに食べるが簡単にすぐ食べ終わることが出来るけど、早すぎるのだ。
やはり手間暇かけたのが美味しいのか。
3年程前に亡くなった画家の伊藤ニ子さんと晩年の数年間交流させてもらった。
菱刺しをしていた頃の話から食べものの話もして、手作り味噌を交換したりもした。
ニ子さん90歳を過ぎた秋の朝、お宅の前を通ると半袖にエプロンして、物干し竿に洗った葉付き大根を結んで干している姿が見えて、キラキラしてるなあと感じたのを思いだす。
ニ子さん曰く、「自分の口に合ったものを作って食べるのが当たり前。だって自分を作るものだから」と。作品作りも身につける衣服も食べものまで妥協していなかった。自由な雰囲気でありながらもご自身のルールが明確で素敵な方だった。
私も毎年続けている梅干し作りや味噌作り。生きていくことを「までいに」暮らしていきさたいと思う。

#デーリー東北新聞社提供
令和4年8月31日紙面「ふみづくえ」掲載



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