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見田宗介『社会学入門』に心臓を貫かれる【2017年11月23日ブログ記事再掲】

同僚の若き社会学者に、いろいろ魅力的な本を紹介してもらっているのですが、そうして教えてもらったものの中に、見田宗介『まなざしの地獄』(河出書房新社)がありました。

まず、マクロとミクロの視点をあわせもった、緻密かつ視座の高い分析におどろき、そして、なによりその文章のうまさに魅了されまして、見田宗介、ただものではない、との感を抱きました。

といっても、ちゃんと著作を読んだのははじめてでしたが、さすがに名前だけは聞いたことがあり、以前、寓目した何かの対談で、やたらするどい発言をしていたのを読んで、ミタ・ムネスケという読みとともに(ソウスケじゃないんだ)、頭の片隅に残っておりました。あらためてネットで検索すると、日本を代表する社会学者とのこと。ははあ、さもありなん。真木悠介との筆名での著書もあるという。

俄然、興味がわいてきたので、続けて読んでみようと、『社会学入門』(岩波新書)なる、いかにも手軽そうなタイトルの本を注文する。

とんでもない本でした! まさかこの歳(アラフォー)で、「入門」と銘打った新書に感動するとは! この本を手にとった翌日には、いてもたってもいられず『定本 見田宗介著作集』(全10冊、岩波書店)を注文してしまいました。それほどの衝撃です。心臓を貫かれました。

若いときにこの本を読んだら、きっと社会学に進んだだろうな、と思います。でも、本書は『社会学入門』と題しておりますが、あきらかに「見田社会学」入門でして、文系諸学の核心部分を自在に援用する――ここがすごい、隣接学問のいいとこどりではなく、あきらかに本質に迫ってから、社会学に還元するのですから――見田宗介に魅了されたとしても、一般的な社会学にその答えを求めたら、きっと違和感を感じることもあったでしょうから、アラフォーのいま出会ったのも、あるいは幸いだったかも知れません。さらには、見田宗介の「文学性」に反応している面もあるので、やっぱり文学をやってよかったのですが、それにしても、人生を惑わせる恐ろしい学者です。

――ちょっと横道にそれますと、文学と社会学、現在ではそれぞれ学問として確立していますし、人文科学と社会科学とのちがいはあれ、ともに文系の学問という意味で、近しい部分もある。とくにぼくは、研究手続きとしては、文献学的手法を用いて「時代に即す(江戸に即す)」という方法論を叩き込まれましたから、その行き着く先は、「時代の空気」をあきらかにする、というのが、唯一ではなくても、かなり有力な目的として存在しているわけです。

かなり乱暴な物言いであることは自覚しつつあえていうのですが、社会学においてもやはり、「時代の空気」の解明を、ひとつの目的としてとらえているでしょう。ですから、権力者の推移や政治形態の変遷の叙述というメインストリームの歴史学に対して、「時代の心性」をあきらかにしようとするアナール学派が、心理学・文化史学などとともに、社会学から多くの知見を得ているのは、必然であって、文献学や訓詁の学からみて、アナール学派や社会学などには、案外に親しみを感じるところもあるのです。

しかし、文学と社会学は、それでも決定的に異なるな、と思うところももちろんあります。それは、それぞれの学の「古典」を思い浮かべればはっきりするのですが、たとえば(近世)文学なら、『好色一代男』『雨月物語』やらの文学テキストがまず頭によぎります。もちろん、俗な散文ではなく、和歌や漢詩などの雅文芸を思い浮かべてもいいのですけど、やはり虚構や修辞を持つテキストがいち早く想起されます(それだけが文学だ、といっているのではありません)。一方、社会学の古典というと、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やら、デュルケームの『自殺論』やらが、まず思いつきます。

なにがいいたいかというと、たとえば文学においては、これから研究をはじめようという学生に対して、テキストを読む前にまず先行研究を調べろ、という指導は基本的にしないのに対し(もちろん、テキストを十分検討した後には調べさせる)、社会を対象とする社会学は、ウェーバー自身が学者=研究者であるからして、『プロ倫』自体がいわば(あまりに偉大だけれども)先行研究となっており、まず、社会そのものを見ろ、というよりも、まず研究書(『プロ倫』)を読め、つまり先行研究を調べろ、という構造になっているわけです。突き詰めれば、(現代ではなく近代や前近代を射程にする)社会学を専門にすると、「研究者」の研究をすることから、なかなか逃れられないことになります。

もちろん、近世文学だって儒者や国学者などの学者=研究者の研究をしますし、(前近代を射程とする)社会学だって、ノルベルト・エリアスが『文明化の過程』で、エチケット本をひたすら渉猟して「社会」そのものに向き合ったように、例外はいくらだってありますけれども、本来的に、文学はテキストに向かい、社会学は研究者(とその理論)に向かう傾向があることは、否定できないと思います。つまり、専門はブリュデュー研究です、というのはありえても、専門は中村幸彦研究です、なんてありえないわけです。

あだしごとはさておきつ――『社会学入門』はすばらしい、という話。

とにかく、序章をはじめとして、1から6章、そして補章にいたる各章で、それぞれベクトルの異なる感銘を受けました。なんだこの深さと広さは。

まずのっけから、「私」発で学問をしているのにおどろく。「ひとりの人間にとって大切な問題は、必ず多くの人間にとって、大切な問題とつながってい」るとの認識のもと、〈死とニヒリズムの問題系〉〈愛とエゴイズムの問題系〉という見田宗介個人が抱える二つの問題系が、そのまま近現代の文明社会に生きる「多くの人間」の「大切な問題」となっている。「私」発の切実さが、「魂のある仕事」を可能にしている。

その自分にとって(=多くの人にとって)大切な問題に真摯に向き合うとき、それが解明されるためには、学問の垣根など存在しない。社会学的アプローチで解決するならばそうすればいいし、文学的・心理学的アプローチがのぞましいなら、それを活用すればいい。ただそのとき、「越境する」ことを目的としてはいけない、と見田は強調する。越境するために越境するのではなく、問題解決のため「やむにやまれず境界を突破する」のだと。近年かまびすしい「学際的研究」の本質と陥穽は、ここに尽きているのではないでしょうか。

1章では、(そのルーツのロシア・フォルマリズムではなく)ブレヒトの「異化効果」の説明を借りつつ、(比較)社会学の目指すところを示す。社会学は〈自明性の罠からの解放〉を目指すもの。いま・ここ、があたりまえ(自明)だと思っていることを、別世界を見ることであたりまえではないと自覚する。ここらへんは、文化人類学の手つきとも近しい。そしてこれは、「時代に即す(江戸に即す)」方法論とも近しい。

ちなみに――ええい、こうなったら、どこまでも横道にそれてやろう。というより、こうやってさまざまな連想を呼び込む文章なのです。ありますよね、いろいろなことを思いつきすぎて、はやく続きを読みたいけど、いま浮かんだ考えも気になって追いかけたいし、どうしたらいいんだ、とやきもきするテキストが。見田宗介の文章は、その好例です――中野三敏先生は、新井白石の『読史余論』に倣いつつ、「体勢五変」と明治から平成までを通覧し、江戸否定→趣味的理解→学問の対象→近代主義的江戸理解→江戸に即した江戸理解と、ようやくいま「江戸に即して江戸を見る」という方法論があたりまえとして認められるようになった、といろいろな文章でお書きになっています。

それはまったくそのとおりでしょうし、一貫して「江戸に即して江戸を見る」スタンスを主張してきた中野先生からすれば、やっとそれがあたりまえになった、という感慨があるのでしょう。若輩者のぼくは研究環境の変遷を肌で感じていないので、正確なところはわかりませんが、少なくとも現在は、「江戸に即す」というスタンスが学会において少数派とは思えませんから、まず事実として話を進めます。

体勢五変を事実として追認しながら、一方でぼくが思うのは、これは国文学(近世文学)が独自にたどりついた状況だろうか、ということ。

つまりいまでは、あちらにはあちらの正義があり、こちらにはこちらの正義がある、という相対的な視点を持つことが、知的訓練を受けた人間においては当然の前提としてあると思います。しかしこういう視点は、レヴィ=ストロースが「未開」の民族を研究し、そこには西洋近代文明とは異なる固有の内在的論理をもつ文明があることを示したことから端を発して、それこそ体制が何変もして、いまではあたりまえのことになったわけです。だから、ぼくは院生のころ、サイードの『オリエンタリズム』を読んだとき、正直、なんでこんなあたりまえのことを(訳本で)2冊もかけて、しつこく論証するのかな、と感じたものですが、それは、西洋の学者にまま見られる徹底した論証癖を差し引いても、ここまでしつこくしないと伝わらないほど、堅固な西洋近代主義の偏見がいまだ強固だったということで、いまはあたりまえでも、当時はとてもあたりまえではなかったからにちがいありません。

そして、このあちらにはあちらの、こちらのこちらの内在的論理がある、ということがあたりまえになってはじめて、現代や近代ではなく「江戸に即す」というスタンスがあたりまえになるわけで、中野先生の体勢五変の実感は事実として動かないとしても、それを包摂する世界的な学問潮流のなかに、われわれ国文学の徒もいるわけです(カルチュラル・スタディーズなんて好例であって、中野先生が宴席で、なんであんなあたりまえのことを、いまごろいっているんだ、とさも不思議そうにおっしゃっていたことを、覚えています)。う~ん、あたりまえ。

べつにぼくは、だから国文学も世界で流行している○○理論を導入するべきだ、などとは毛ほども思いませんけど、〈自明性の罠〉を自覚しないのはよろしくない、と思いますから、よくもわるくも、人文科学は流行に左右される、ということを肝に銘じておくべきだと思います。そして、その当然の帰結として、いまのあたりまえが、次の時代に否定されるのですから。

そのうえで、ぼくが学問として「江戸に即す」方法論に魅力と可能性を感じるのは、外ならぬ「異化効果」を発揮して、いま・ここ、の自明性をゆさぶるからです。「近代主義的に江戸文学を読む方法」(もはやこんなざっくりしたいいかたでは、なにを指しているのかすらわかりませんけど)では、時代を超える文学の普遍性の追求という肯定的な側面ももちろんあるわけですが、一方でその価値観は、近代につながるものを先駆として重んじる発達史観にもとづいているわけです。そんな共通性への共感よりも、ええっ、こんなに違うんだ、わかんないな、とおもしろがりつつ江戸の内在的論理を読み取って、現在のあたりまえをゆさぶって認識を新たにする方が、ずっとたのしい。(ところで、そうはいってもぼくは、中村先生すら時代の近代主義を超えられなかった、と中野先生が指摘する、「中村幸彦的近代主義」が、たまらなく好きなので、自覚的に「近代主義」をやってやれ、という思いも抱いております)。

そこで見田宗介。

「この時に大切なことは、異世界を理想化することではなく、〈両方見る〉ということ、方法としての異世界を知ることによって、現代社会の〈自明性の檻〉の外部に出てみるということです。さまざまな社会を知る、ということは、さまざまな生き方を知るということであり、「自分にできることはこれだけ」と決めてしまう前に、人間の可能性を知る、ということ、人間の作る社会の可能性について、想像力の翼を獲得する、ということです。

ぼくは「江戸に即して江戸を見る」ことの目的、つまり近世文学研究の目的を、ここに見た気がします。日本から海外に留学したものは、アンチ日本か日本びいきかに走りやすいものですが、空間と時間の違いはあれ、同じく異文化にどっぷりと浸る「江戸に即す」方法論を用いたとき、ややもすれば江戸を理想化してしまいがちですけれども(こちらの場合、あまりアンチ江戸になったとは聞きませんね。留学のように24時間、完全にその世界に浸ることができず、絶えず現在の日常に引きもどされるからでしょう)、そうやってどちらかを理想化するではなく、〈両方見る〉ことで〈自明性の檻〉から出て、人間の可能性を知り、想像力の翼を獲得することこそ、近世文学研究の醍醐味ではないかと思います。

――う~ん、たった1章について書くだけで、こんなにかかってしまう。しかも、残る各章は、同じだけの深度を備えながらも、それぞれまったく別のことをあつかい、それでいて見田宗介の(そして多くの人間にとっての)本源的な問題系として、見事に統べられているのですから、まいってしまいます。

いまは残りの各章についての私的メモを記すよりも、もっと見田宗介の他の著述を読みたいので、これくらいにしておきますが(それにしても、「関係の絶対性」を超えるためには、被支配者が自立せねばならず、そのためにはまず支配者が自立するとか、共同体を脱するのではなく、共同体内での自由の確立する〈交響するコミューン〉とか、誰かとじっくり話してみたいものです)、最後に、「文学プロパー」のぼくが、とにかく胸を打たれて感動したコラム「コモリン岬」について触れておきましょう。

これは、一言もゆるがせにできないので、どうしたってフルスケールで(といっても7頁)読んでもらうしかないのですが、抄出がネット上にあったので(*いまはなくなったようです)、参考までにお示ししましょう(でも、ちゃんと省略なしで読んでほしい)。

ちなみに、好きな書き手をあげろといわれたら、ノンフィクションなら、まず沢木耕太郎・星野博美・野村進・野田知佑あたりが思い浮かぶので、自ずとその共通項、すなわち、低い視点を備えつつ旅をする(あるいは自由を志向してオルタナティブな世界を模索する)書き手が好きだという自覚がありますので、見田宗介も我が好みの延長線上にあることはわかります。それにしても、この「コモリン岬」の感動はなんだろう。

その源を知ろうと何度も読み返し、その度に、〈聖域〉にミスリードしておきながら、最後に〈聖域〉かえってくるうまさ! 「やったな。あいつら!」という、もうこれしかない、という言葉づかい! など、薄れるどころか感動が上書きされることにおどろきつつ、ひとつ、はっと気がついたことがあります。

そうか、これは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の反転なんだ。

サリンジャーの描くホールデン君は、ライ麦畑で遊ぶ子どもたちが、遊びに夢中になって崖に落ちそうになるところを捕まえる見張り役になりたい、といいます。イノセントな子どもと、誰にも知られずとも、そのイノセンスをこの世の悪しきものから守ろうとする悲壮さがにじみ出た、なかなかにリリックな決意です。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』自体はべつにそれほど好きでもないのですが、さすがにこの件りは、ほう、と思ったものです。

しかし、この「コモリン岬」はどうですか! 大人が子どもを守るのではなく、子どもが大人を救うのです。しかも悲壮さのかけらもなく、底抜けに明るい笑顔とともに。さらに、それはイノセンスのように成長とともに失われやしない。永遠の〈きれいな魂〉は、快活に「やるしかないでしょう」と、開かれた〈聖域〉を守り続けているのです。

イノセントな子どもを大人(というか青年)が守るというリリックな悲壮さと、その思いと裏腹に(いや、その思いゆえに)社会からはみ出していく西洋近代主義の病的な様相を、サリンジャーは一冊をとおして見事に描いたわけですが、見田宗介は、「コモリン岬」たった7頁でそれをひっくり返し、もうひとつの世界を提示して見せたのです。そしてそれは、見田宗介が学問的にあきらかにしようとしていることと、完全に同じ方向にある。

まいりました。まちがいなく、常識を変える一冊です。とにかくまいってしまいました。

【追記】
本書から全集通読にいたる見田宗介体験は、ぼくの学問観を根底から変えました。じつは拙著『大才子 小津久足』のスタンスは、見田宗介にインスパイアされたものなのですね。また折を見て、全集を読みなおします。

http://hishioka.seesaa.net/article/a42192213.html

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