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川平敏文『武士の道徳学』(角川選書)

ここしばらく、梅雨に入ったら根を詰めてやろう、と思っていた校正仕事に精を出し、例の「これは京都である必要はない」(デスクワークとフィールドワーク)との思いをつよめておりましたが、それもなんとか一段落して、ようやく読書の暇ができました。

というわけで、さっそく、出たばかりの川平敏文『武士の道徳学』(角川選書)を読みました。

副題は「徳川吉宗と室鳩巣『駿台雑話』」です。読者が手に取りやすいようにキャッチーな語彙を全面に出しております。もちろん、吉宗と室鳩巣の関係性が本書の大黒柱ですから、ちゃんとそのとおりの内容ですし、『駿台雑話』もきちんとあつかわれているものの、それでも本書の白眉は、自筆本『兼山麗澤秘策』という室鳩巣の書簡集からうかがえる、人々との生々しいやりとり、時代の雰囲気の描出ではないか、と思います。

いぶし銀(燻し銀)、というのは「はじめに」で著者が室鳩巣を評した言葉ですが、これはまさに言い得て妙で、室鳩巣の立ち位置を見事に示しています。

いぶし銀のよさというのは、ある程度以上に、その業界のことがわかってきたころ、その鈍く光るふてぶてしいほどの渋い魅力に惹かれて気づいてくるもの。つまり、いぶし銀をわかってはじめて、その業界がわかるといってもいい。

だから本来は、その魅力を感得するためには、けっこうな背景知識を必要とするのですが、本書を読めば、いきなり、いぶし銀たる室鳩巣の魅力がわかるのだから、じつにありがたいことです。

また、これはその裏表なのですが、徂徠や仁斎のようなスターもさることながら、室鳩巣といういぶし銀を知ってはじめて、その時代も見えてくるのですね。

なお、運が味方してスターになった、とは聞くけれども、運が味方していぶし銀になった、とはあまり聞いたことがない。つまり、いぶし銀=真の実力者ということでもあります。

本書は、一般読者でもサクサク読める工夫が随所に凝らされているのですが、それも著者のたしかな学識があってこそ。

たとえば第一章では、室鳩巣がはじめて吉宗に御前講釈をおこなう場面が、じつに臨場感たっぷりに描かれていて、興味津々で読むことができます。

しかしこれも、ただ『兼山麗澤秘策』を紐解けば同じように描けるわけではなく、そもそも江戸時代の講釈とはどういうものか、ということを著者が豊富な実例をもって、過去にさまざまなかたちで研究成果を公にしてきたからこそ、選択的にこの場面を描くだけで、読者に伝わるようになっているのですね。本書の読みやすさの背後には、そんなたしかな裏付けがあるわけです。

吉宗との関係でいえば、「御好み」がおもしろかったなぁ。ちょうど盛田帝子さんが、光格天皇が「御好み」を示し、近しいものたちがそれを察してものごとが動いていくさまを描いてますが(「十八ー十九世紀における王朝文学空間の再興」『古典の再生』文学通信)、同じようなことが吉宗とその周辺でも存在しているわけで、日本の忖度文化の源流を見るようでした。

また、明君研究というのも、歴史学ではいまホットなトピックですが、そもそも明君というのは、みずからが鑑となる前に、なんらかの鑑を参照しているもので、それは、リアルな先人であることもありますが、往々にして書物を通じて知った鑑が多い。となれば、書物、ここでは『駿台雑話』の果たした歴史的な影響力を考えると、まさにリアルな明君も、後世には、室鳩巣の言説によって生み出されたともいえるわけで、そんな歴史と文学が交錯する現場を、まざまざと見せつけてくれたところも、本書の「熱い」ところでした。

著者がベース奏者であったことを知っているせいかもしれませんが、一見、目立たなくともベースはサウンドの要、ベースがないと音が浮いて音楽が成り立ちがたいように、いぶし銀たる室鳩巣がいてはじめて、江戸の思想史・学芸史が成り立つのだな、と感じられました。

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