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デスクワークとフィールドワーク

せっかくの滞在研修なので、この半年のあいだは、読む暇があったら歩こう、と普通の文系研究者だったら音をあげるような、スパルタンなフィールドワークをしております。

なるべくバスや電車も使わずに歩くことにしてますから、必然的に一日に歩く距離は、かなりのものに。もっとも、過去にフルマラソンを走った経験がありますから、42.195キロぐらいだったら、走らないで歩けるんだからどうってことないか、とちょっと距離の感覚がバカになっています。

ところで先日、滞在研修中ながら、オムニバス授業の担当回を集中講義でまとめてやる必要があり、久しぶりの講義なので大丈夫だろうか、とちょっと不安もあったのですが、なんのことはない、歩き回っているのでやたら体力があり、4コマぶっつづけでも楽勝でした。おもしろいものです。

しかし、そんなフィールドワーク三昧の日々でも、原稿執筆やら校正やらで、どうしても一日中、机に向かわなければならないときもあります。

そんなやむを得ない事情で、3日間ほど根を詰めてデスクワークをしていたとき、つくづく思ったのは、これは京都である必要はない、ということ。だって部屋のなかにいるだけですから。

そうなると、また考えさせられます。ぼくの(滞在研修中ではないときの)日常は、本や資料を読み、原稿を書き校正をし、大学で授業をして会議に出る、というもの。つまり自宅、研究室、教室、会議室、と場所は異なれど、基本的に同じ場所をくりかえし往復しているだけ。あとは、決まったところに買い物に行くぐらいです。

そして、より充実した成果を出すには、いかに自宅や研究室で机に向かう時間を確保するか、ということにかかっています。ということは、隔絶した快適な室内空間をいかに確保するか、がポイントですから、京都である必要がまったくないのですね。これは考えさせられます。

昔は、資料や情報の面で大都市の優位性はゆるぎないものがありましたが、いまは通信や流通が発達して、田舎にいながらにしてさまざまな資料・情報を手に入れることができます。それに大事なのは、資料・情報を手に入れることではなく、それを読み込んで分析・思索する時間ですから、それは別に都会でやる必要はないわけです。いやなんなら、都会にいたらその時間が確保しづらい。

小津久足が生涯、松坂に居つづけたことに、思いを馳せてしまいます。松坂は井の中の蛙、とさんざんこきおろし、京都に憧れて(すくなくとも)21回は長期滞在しながらも、それでも松坂に居続け、そしてあの蔵書と著作を残したわけです。

もちろん江戸店持ち伊勢商人ですから、本拠は松坂というのが前提でしょうけれど、それでも松坂出身の三井が江戸店持ち京商人になったように、あるいは伴蒿蹊が家督を譲ったあとに京都に住んだように、やろうと思えば京都に住むこともできたでしょうに、松坂に住み続けたわけです。いろいろな要因があるでしょうが、なんとも考えさせられます。

普段から、ぼくは夕食後の散歩を日課にしており、それは毎日のたのしみでもあったわけですが、京都では四条の繁華街に仮住まいしているのと、なにしろ日中歩き回っているのとで、夕食後まで人混みのなかを散歩するのはおっくうで、京都ではそれはやめておりました。

しかし久しぶりに(といってもたかが二ヶ月)山口にもどり、いつもの一の坂川沿いをさかのぼって瑠璃光寺にいたる散歩コースを歩いて、えもいわれぬ感動を覚えました。ああ、山口は(というか田舎は)うつくしい!

一の坂川
黄菖蒲

わざわざ庭をつくらずとも、築山みたいな山が町中にありますからね。庭の中に町があるようなものです。

山口の山はだいたいこんな感じ

そして、田舎を歩いてつくづく思うのは、まったく人を意識しないで済むということ。これは、まったく人がいないということではなく(まあ、極めて少ないですけれど)、人とすれ違うとか、角にさしかかったら人や自転車や車が出てくることを気にするとかいうことを、(完全に無防備ではありませんが)ほとんど気にしなくてすむということです。

反対に都会では、部屋を出た瞬間からずっと、すれ違う人をかわし、飛び出てくるかもしれない人や自転車や車に注意を払うなど、ずっとなにかに気を配っているわけで、加えて、自分のペースではないきわめてゆっくり歩く人のうしろにしたがわざるをえない、などのストレスも尋常ではありません。そんな「気」をまったく配らなくてよくなるだけで、どれだけ心の負荷が軽くなるか、ということを実感したわけです。こんなことに「気」を浪費すると、読書や執筆に向ける分が減ってしまいます。

つまりデスクワークに必要なのは、快適な室内空間と、お気に入りの散歩コースである以上、田舎で自分のペースでバリバリやってる方が、ずっといいんじゃないか、とつくづく思ったのでした。

要するに、田舎が好きなんですね。

かねてからのぼくの持論、流行っていない県庁所在地が一番住みやすい、にあらためて確信を持つのでした。

とはいえ、京都は京都でやはりすばらしい。まだまだ歩き回ります。

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