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植物日記を書くための前段

 昨年の梅雨頃から植物を育てるようになった。生家が田舎なので、動植物が身近な方ではある。それまでは積極的に買い求めてどうこうしたことはなかったが、ある日、ふらっと立ち寄った百均で黒ポットに小さな観葉植物の苗木がたくさん並べられているのに出会い、不意に「これくらいなら値段的にも許されるだろう」(誰に?)と思ってフィカスを手に入れた。いちばん葉っぱの色と形とバランスがよかった。そこそこ育っていたので100円ではなく300円だった。
 一緒に適当な植木鉢と土も購入し、帰宅してから植え替えた。

 部屋の中で一緒に過ごし、日常的に「植物が視界に入る」状態になると、これまで特に意識することのなかった緑に目が行くようになった。手入れされた住宅の庭、玄関先に置かれているプランター、公園の花壇、川べりの雑草たち。ショッピングモールの中にある花屋の品ぞろえ、スーパーに並んだ野菜、果ては自分が食べたアボカドの種。さらに、一度思い切って金を支払って迎え入れるというプロセスを踏んだことにより、二回目以降に同じことをするハードルも下がる。暖かい時期だったので、同居人1号のフィカス君の成長も早く、日々の変化を観察する楽しみがすぐに感じられた。
 そんな複数の要因が重なって、気が付けば10個以上の鉢と生活している。

 まだまだ初心者なので水をやりすぎたり、土の様子を見ようとして根っこを傷つけてしまったりする。不注意なのでたまにひっくり返して土をこぼすし、服に枝をひっかける。それでも木や草たちは完全に枯れることは(今のところ)なく、じっと耐えてくれている。根付き、新芽を出し、花を咲かせてくれる。

 植物はこちらが多少間違えたり粗相をしたりしてしまっても、その場ですぐに劇的な変化を見せることはないので、人の顔色を窺いすぎる自分のリハビリにも向いているのかもしれない。というか、人間だって、相手の一回きりの言動や態度でどうこうなることはあまりないのでは?私、その場その場でしか考えてなさすぎでは?最近ではそんなことも考えながら、じょうろに水を汲む。


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