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俺がの違和感

文章を書くときに、違和感を覚える瞬間があったりします。

スムーズにフリック入力をしている途中で、自分自身の頭の中で出てきた文章に対して、「ん!?」と感じる瞬間。

それは、「俺が」というような内容を書きそうになったとき。

例えば、先日RaaSという言葉を表紙に用いた雑誌が生まれて、個人的にとても嬉しかった話をFBで書いていました。以下その雑誌の画像と、投稿したときの文章です。

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表紙に「RaaSの衝撃」と記載がありますが、僕自身が衝撃受けています。
 
かれこれ、3年くらい前から「RaaS(Robot as a service)」を発信するようになったのですが、その頃は、「RaaS」でググっても、RaaSに関する記事が1件2件くらいしかなかったような時代でした。
 
なので、言葉として使うべきかどうかを考えたこともあったし、認知を拡げるためにも、ピッチ等で「RaaS!RaaS!!」と言い続けるしかないと考えてやってきました。
 
そんな状態だったのですが、まさか雑誌の表紙に掲載されるまでになるとは。
 
きっと少〜〜しはRaaSの言葉が普及するにあたって、貢献できた気がします。ホントうちのチームメンバーは凄い!言葉の普及にも貢献している。
 
もっともっと多くの方に知っていただけるよう、今後もやったります!

これ書いてたタイミングで、「俺がメディアやピッチで出るたびに言ってきたし、全く認知度ない状態でも、俺が言ってきたからだぜ。イェイ!」的な内容を書きそうになる想いが一瞬チラッと頭をよぎったタイミングが正直ありました。

で、すぐさま「いや、対外的にたくさん言ってたのは俺かもしれないけど、対外的に言える状態であることは、エンジニアのみんながロボットを作っているからだし、メディアに出れているのは、広報のあまのっちが調整いっぱいやってくれているからだし、会社が円滑に進むためには大山くんがいっぱい頑張っているし、組織を作るためにカトマキさんが・・・エトセトラエトセトラエトセトラ・・・」
 
って、なるんですよね。これホントに。昨日この話をある方にしたのですが、「謙虚だね」って言われたけど、全然謙虚とかって話じゃない。ただの事実。これマジファクト!
 
だからね。「俺が」なんてものはないわけだなって、ホントあらためて実感します。周りの人たちには感謝しかない。自分自身1人じゃ、なんもできやしない。

って、こんなこと書いていると、人によっては「別に自分がやりたいことをやっているだけだから、感謝されるようなことでもない」という、つんけんした考え方もあるかもしれませんが、そう思われたって感謝は感謝。ありがとうは、ありがとう。誰に何を思われようと、自分自身が感じる感謝の気持ちや、ありがとうという気持ちは、自然と生まれるものだから、その感情は誰にも否定される性質のものでもない。

そう感じられているほうが、心も満たされますわ。皆様いつもありがとうございます。そして、これからもよろしくおねがいします。担がれて生きていくぜ!!(違

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