海老フライ

6歳ぐらいの時だろうか。
父の友人宅が相模原市にあり、私の住んでいる町から車でニ時間ぐらい。
父が友人の家に家族で招待されるなんてことは殆ど皆無だったので、緊張感が漂っていた。
着ていく服も1番良い服を選び、行く前の日は私たち子どもの顔剃りまでして整えていた。
なぜか私の母は顔剃りが好きで、子どもの顔に生えるうぶ毛や眉毛を整えるという事をやっていた。台所の食卓テーブルに座布団を置き、そこに頭を乗せてのけぞる姿勢で仰向けになる。
母は1番安い安全カミソリ(安全ではない)と言う刃が剥き出しの怖いやつを持って真剣な顔。
動かないで!
笑わないで!
息しないでみたいな勢いで柔らかい肌を傷つけないように、額から眉毛、口周りのうぶ毛、両頬のうぶ毛をなぞりながら剃っていく。
今でも、その時の母の息づかいや台所の匂い、牛乳石鹸の匂いを思い出す。
海老フライの題名なのにこんなことまで思い出してる自分がいる。
海老フライ🍤に戻ろう。
父のお友達家族には男の子が2人いた。
10歳以上も上だろうか?私からすると当時のアイドルNo. 1の郷ひ○みそっくりだったので、とてもときめいた記憶がある。彼は次男で、長男の顔は全く覚えてない。
優しそうなおとなしい人だったなと雰囲気だけは覚えてる。
郊外の洋風な一軒家で、食卓テーブルも私の家とは違う木のテーブルだった。
我が家はアルミの脚が4本のグラグラ揺れるテーブル。
見たこともない海老フライと言うものが、どんどん揚げられて出てくる。
丸顔の背の小さなおばさんが、エプロンをしてニコニコしながら運んできてくれる。
「遠慮しないでどんどん食べてね。たーくさん作るからね。女の子って本当に可愛いわね。うちは男の子2人だから女の子がいるだけでうれしいの」
マヨネーズをつけて食べてねと言われて、それも驚いた!
我が家は、母の手作りマヨネーズだったので、卵やら油やら使って作るためとても貴重で滅多に使わないものだった。
それが、チューブに入ったマヨネーズで裸の赤ちゃんの絵が描いてある不思議なマヨネーズ。
海老フライもマヨネーズも、私には衝撃的な美味しさで暫くボゥーとしてたと思う。
揚げたてが出されるたびに、美味しい!美味しい!とお皿の海老フライは消えてゆく。

帰りの車の中で、母は何度も嘆いてた。「本当に恥ずかしかった。何も食べさせてあげてない子どもみたいにガツガツ食べてるあなたたちが恥ずかしかった。もう2度とあの家に行きたくない。海老フライは、私が家で作る!」と呪文のように繰り返してた。
父は黙って運転していた。
海老フライとマヨネーズは大満足だったが、私はとても不機嫌だった。
あのアイドルにそっくりな次男がトランプゲームをしてる時に、私に意地悪をしたから。
君は、ズルしちゃダメだよと言ったのだ。
彼は陰気な人柄だった。
トランプゲームはまったくつまんないし、彼は親から遊んであげてねと頼まれたから嫌々付き合ってる感じが全身から湯気の様に立ち上がっていてその湯気は私の気分を悪くさせ、あんなに美味しい海老フライを食べれる家の子がなんてワガママで性格悪いのだろうとムカムカしていた。
その後、我が家ではチューブに裸の赤ちゃんが描かれてるマヨネーズと2、3ヶ月に一回ぐらい海老フライが出る様になった。
海老フライは1人3本だけ、マヨネーズは好きなだけかけて良いと言うルールで。
でも、あの時の海老フライの味は59歳になった今でも出会ってない。
私は外食に行くと海老フライをついつい頼んでしまう。
あの時の感動と衝撃をもう一度味わいたいと思うから。
老舗の銀座の天麩羅屋、函館の有名な天麩羅屋。
美味しいが、今ひとつ違う。
足りない
何か足りない。
今はその理由はわかったから、もう海老フライは追いかけないことにした。
こんなことが、人生には沢山あって皆んな何かを探していたり求めていたりする。
今は足りている。
現在は大人になり、自分で足りないものを補える。
私は来年60歳。
必要な物だけ厳選して、大事にしたい人たちとの時間を丁寧に重ねて生きていきたい。

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