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【無知は罪】ワクチンは愛か?怖れか?

ワクチンを打つことは愛だと思いますか?

ワクチンを打つことは怖れだと思いますか?

真実度999の情報の中に、人間の心(マインド)は真偽を見分けられない。と書いてあります。復習しましょう↓

繰り返しますが、謙虚さは、何度言っても足りないほど重要な事実を受け入れる姿勢をつくります。ーーその事実とは、人間の心(マインド)は真偽を見分けることができない、ということです。この事実が誤りであれば、歴史に戦争はあり得ませんし、さまざまな社会問題も、無知も、貧困も生じていないはずです。人類はとっくに覚醒しているはずですし、何世紀もの間、意識レベルが190にとどまっているわけがありません。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著P167

愛だ!と言いたい方も、残念ながら、実は、無意識の怖れがその行動を起こしています。

いや!それでも、私に限っては、愛だ!と言いたいでしょう。それは、大義名分です。

生まれ持った真理

人間は、自分の行動の基盤さえも、無意識で真偽を見分けられていないというのが真実です。だからこそ、人間は過ちを起こす可能性がある生き物であることを、謙虚に知っておく必要があります。真の謙虚さでは真実を素直に受け入れられず、自分の考えが正しいと言い出す生き物です。※それを言っているのは、本当のあなたではない動物脳(本能)=自我(エゴ)が言っていることに、謙虚に、素直に、真剣に気づけるかが、愛が基盤の本当の自分の立ち位置になります。

本日、2022/11/15 KIN181ですが、パンデミックが仕掛けられてから、間もなく3年が経とうとしています。不必要に怖れないことを伝えても、ほとんどの人が無意識の怖れを選択し、やみくもな自己防衛をする行動を起こしました。怖れからの行動は、「人間の生まれ持った真理」である、動物脳(本能)=自我(エゴ)がやっている真実が途中で分かっていき、伝わらない理由が分かりました。ワクチン接種の後に1908名の方が亡くなった可能性があること(2022年11月11日時点)が、厚生労働省から発表されています。ほとんどが認定をされていませんが、それだけの事実があり、うやむやにされたものも、数倍あると思います。報告されていない副反応まで含めると、とんでもない被害が出ている事実があります。2022年は、2021年よりも、6万人ほど超過死亡数になっています。(追記※7万1千人でした。)

この発信を見ている方でも、副反応のつらさを体験した方は、いらっしゃるでしょう。もちろん、これ以上打つことはやめてください。さらに、子供たちに打たせることは、無知のなせる大罪です。

人間の心(マインド)は真偽を見分けられないので、戦争や、無知や、さまざまな社会問題が起きています。ですので、さまざまな情報を鵜呑みにしないことが重要です。

愛が基盤の気づいている心の立ち位置は、考えたり、解明したりするのではなく、知っている状態を基盤にしています。計算的ではなく、自発的です。

幸せに生きて行ける方法は、霊的探究をすることしかないといっても過言ではありません。

もう一度、ここで復習します。

【Q:自我(エゴ)が生物学的起源から生じ、遺伝子にも浸透し、社会もそれを強化し、根強くプログラミングされているならば、果たしてそこから抜け出すことができるのでしょうか?】

A:自我(エゴ)を超越することは可能です。大事なのは、自我(エゴ)の習性ではなく、それと”わたし”を同一視してしまうことが問題ということです。

わたしたちは自我(エゴ)を”それ”として受け継ぎました。そして、実際に”それ”は非個人的なものです。あなたがそれを自分だと思い、同一化したときにはじめて問題が生じます。”それ”という自我(エゴ)の構造は、それほどユニークでも特徴的なものでもありません。多少のカルマの違いがあるだけで、比較的誰でも似たような”それ”を持っているのです。本当に人によって違いが出てくるのは、そのプログラムにどこまで隷属(れいぞく)的に従っているかの程度です。つまり、自我(エゴ)の大小は、どこまで当人がそれと同一化しているかによります。自我(エゴ)は本来何のパワー(ポジティブエネルギー)も持っていません。あなたが霊的に成長するにしたがって、自我(エゴ)のプログラムの影響を減少させるパワー(ポジティブエネルギー)が劇的に増加していきます。これが「意識のスケール」の本当の意味です。

自我(エゴ)のプログラムにすっかりはまっているとき、気づきや洞察なくしては、自分自身を助けることはできません。そういう人を見るとわたしたちは、あの人は欲、あるいは憎しみ、怖れ、中毒、プライドによって”動かされている”と言います。こういうときに仮説や道徳の立ち位置を持ち出して、”あの人はこうすべきだ”と指摘するのは誤りです。実際にそれは、まったくの筋違いです。無意識的に行動するというのは、ただその言葉どおりで、”罪”というのは意識の進化の限界を表しているにすぎません。この限界のことを、ブッダもイエスも”無知”と呼びました。意識の進化がグラデーションで表されるように、ある人たちは他の人たちよりも道の先にいます。この単純な事実がわかれば、赦しと思いやりが、怒りや怖れ、憎しみ、非難に取って代わります。わたしたちは自分自身を赦し、受け入れると、自然に他者を赦すことができるのです。

【Q:限界を受け入れることは、倫理観の欠如や醜行などの罪を招くのではないのでしょうか?】

A:赦すことと思いやりを持つことは、是認することではありません。

200以下のエネルギーフィールドにいる人たちは、毎日が絶え間ない苦痛にさらされています。クリスチャンの伝統では、罪人たちのために祈ることを教えられます。また、非統合的でネガティブなもの(”悪”)と対決するのではなく、回避し、離れるように忠告します。”罪人”は、霊的な成長が原始的な段階にとどまっている、不運な人と見ることができます。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著P161-P162 

愛と平和は、”動物脳(本能)=自我(エゴ)”の最大の脅威であることを忘れてはなりません。↓

耳で聴いて学習シリーズは、オススメです。↓

今回が100本目の記事です。まとめてますので、是非、活用してください。すべて、無償です。

※追記 2022/11/28 KIN194


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