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クロスオウヴア 08

■■■ プライヴィット 4 ■■■

「ねえ、あなたはだれ。」

 照れを抑えながら、ちょっとつっけんどんな口調で沙紀さきは言った。

「・・・ネエ、アナタハダレ。・・・ネエ、ワタシハダレ。・・・ネエ、ワタシハプライビト。」

 WVDディスプレイの中の人物は一語一語、言葉を噛み締めるような口調で答えた。

「ほら、な、な、答えただろ。」

 佑右ゆうすけは本当に嬉しそうにはしゃいだ声で言った。

「だから何なの。こんなの入力された言葉を関連した別の言葉に置き換えるプログラムを組めば何でもないことじゃないの。」

 沙紀は、OSについて佑右にイニシアチブを取られたので、ちょっと悔しかった。だから自分も少しぐらいはPHCピークについて知っているんだぞ、ということを意思表示しておこうと思ったのだ。でもそんな沙紀に対して、佑右は全く変わらないうれしそうな表情で言った。

「そんなケチなプログラムは組んでいないよ。これはね本当に生きている人間なんだよ。」

 佑右の話によるとこうだった。DNAがあらゆる生物の設計図であり、その設計図に基づいて生物が作られるように、このソフトでは生物の設計図を与えてやると、その設計図に基づいて『生物』が作成され、ソフト上でまるで生きているかのようにふるまうのだそうだ。

「このまえ、生物の岡さんの授業でDNAについて聞いて閃いたんだ。PHC上の生物にもDNAを与えてやろうって。もちろん、生きているとは言っても、ソフトの外には出られないけれどもね。」

「それって、やっぱりプログラムされた通りに返事をしているだけじゃないの。プログラムされた通りにしか動かないんでしょ。」

「それは、そうとも言えるけれど、うーん、むつかしいな。この『生物』が次にどういう動きをするのかは誰にも予測できないんだよ。」

佑右は首をひねりながら続けた。

「そうだなあ・・・・・、例えば、円周率ってのがあるだろ。」

「うん。」

 沙紀は真面目な顔をしてうなずいた。実は、佑右のこういう話を聞くのは楽しくて仕方がないのだ。

「3.1415・・・ってやつ。あれを人間は理解しているんだろうか。」

「『理解』してるかって? うん、そうじゃないの。だって発見したのは人間だし、それを計算する方法も知っているんだもの。」

「じゃあ、円周率の小数第十位の数字はなんだ?」

「そんなの知らないわ。でも計算すれば分かることでしょ。」

「小数第十位は5だ。小数第二十位は。」

「私は知らないけれども、でも決まっているから・・・。」

「小数第二十位は6だ。」

 そういいながら、佑右は自分のPHCの操作した。

3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899862803482534211706798214808651328230664709384460955058223172535940812848111745028410270193852110555964462294895493038196442881097566593344612847564823378678316527120190914564856692346034861045432664821339360726024914127372458700660631558817488152092096282925409171536436789259036001133053054882046652138414695194151160943305727036575959195309218611738193261179310511854807446237996274956735188575272489122793818301194912・・・

 二人の目の前のWVDには、下から上へ恐ろしい速さで数字が駆け巡っていた。余りに速いので一瞬バグによって暴走したのかと、沙紀は思った。しかし最後に表示された数列を見て、計算がなされていたのだと理解した。

・・・811004448060797672429276249510784153446429150842764520002042769470698041775832209097020291657347251582904630910359037842977572651720877244740952267166306005469716387943171196873484688738186656751279298575016363411314627530499019135646823804329970695770150789337728658035712790913767420805655493624646/100000/0:0'2"76

「小数第十万位で二秒七六、ざっと三秒か。まあおれのPHCで、こんなもんだ。最新の量子コンピュータを駆使して、第百兆位だってもうとっくに計算されている。おれはもちろん百兆位までの数字を覚えてなんかいないけれども、すでに計算された範囲なら、小数第何位の数字は何であるかなんて事は調べたら分かることだ。けれど、例えば現在の最高速度をほこる多元有機並列量子コンピュータを使って、一千億年間計算するとしよう。そうしたら小数第何位かの桁、気の遠くなるほど下の桁だが、その桁の数字が何であるかわかるだろう。しかし、残念ながらその桁の数字をおれたちは、絶対に知ることができない。おれたちのずっとずっと後の子孫だって、おそらく知ることができない。なぜなら仮にそのコンピュータが一千億年間、故障もせずに、天変地異にも会わずに正確に動き続けたとしても、その答を見る人間は絶滅して、この世に存在していないことだろう。それよりもなにも、この地球が存在していないに違いない。宇宙すらも存在していないかも知れないからな。また仮にもっともっと、素晴しく速く計算のできるコンピュータができて、あるいは人間がずっとずっと長生きして、ある気の遠くなるような小数点以下の桁の数字が人間に分かったとしても、そのたった一つ下の桁、計算の結果の出たたった一つ下の桁の数字が何であるかさえ知ることができない。」

「・・・・・」

つづく

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