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エリアF -ハレーションホワイト- 31

 まぶしい。白い天井、白い壁。あたり一面が白い。白い。ああ、ぼくはWeb内の瞬間移動で、とんでもないところへ移動してしまった? ここはWebのF管理域か。いや違う、感覚が違う。ここはバーチャルな世界ではない。長い夢からさめたような気分だ。いや、ぼくはほんとうに長い眠りからさめた所だったのだ。

 誰かがぼくの名を呼ぶ。誰だろう、この声は。懐かしい、甘い呼び掛けだ。

 ああ、これはお母さんの声だ。

「・・・あさ・・」

 うまく声が出ない。ぼくはいったいどうしたんだろう。

「・・お・・・ああさん」

。ああ起きたのね、やっと目がさめたのね。」

「おかあさん」

 もう一度、声に出して呼んでみた。いつものぼくの声とは違う、まるで質の悪いスピーカーから出てくるような、くぐもった声だ。

「どこ? ぼくはどうしたの?」

 ああ、良かった、良かった。すすり泣きから大きく息をついて、母は答えた。

「・・・あなたはね、大きな事故にあったの。怪我をして手術をして、それで今まで眠っていたのよ。よかった・・・。今は何も考えずに、もう一度おやすみなさい。」

 事故か。何があったんだろう。ぼくはとにかく大きな事故に巻き込まれて、それで今まで意識を失っていたんだな。ぼくは夢を見ていたのか。まぶしい夢だったことだけ覚えている・・・。そんなことなど考えている内に、ぼくはまた深い眠りに入ってしまった。

 再び目をさましたとき、まわりの音が前より鮮やかに聞こえる気がした。あの時は、母だけだったのかも知れない。いや大勢の人がいながら、母の声しか聞こえなかったのかも知れない。いずれにせよ、今はまわりに人の気配がする。機械の動く音がする。

「おかあさん」

 ぼくは母を呼んでみた。辺りはもやがかかったように白く、ただ白く何も見えなかった。ただ、光の明暗が、その辺りにいる人の動きをぼくに教えていた。

、ほんとうによかった。よかったわ。」

「ねえ、おかあさん。ぼく、何も見えない。」

「えっ、何も見えないの」

「うん、まるで白い霧に包まれているみたいに、辺りは真っ白だ」

 少し間があいた。そして母の声の方向とは違うところから手が伸びてきて、ぼくの目の前を布のようなものでぬぐった。まるでガラス窓をみがくように。

 ああ、眩しい。

「ねえ、ぼく、ガラスのケースか何かに入っているの」

「・・・いいえちがうわ。」

 母が答えた。そして今度はぼくの目の前を布でぬぐった手のある方向から、男の人の声が聞こえてきた。

「何も心配することはないよ。君は今、手術の後で、いろいろな器具がつけられているんだ。目のすぐ前にもね。」

「ケースじゃないの。ゴーグルのようなもの?」

「ああそう、うん、ゴーグルのようなものだな。めがねと言うか、そういうものだ。そのレンズが曇っていたから、前が見えなかったのだよ。」

 ぼくの前には、平板な視野が広がっていた。見えるのはおそらく病室の天井なのだろう。遠近感のまるでない、印刷された写真のような天井が、ぼくのすぐ近くにあるように思えた。

「おかあさん、どこ」

「ここにいますよ」

 白いキャップに、大きなマスクをした女性の顔が、ぼくの前に現れた。天井と同じように、まるでテレビの画像に写るように、平板な人の顔が現れた。一瞬だれかわからなかった。でも、ぼくをじっとみつめるその目は、たしかにぼくの母だった。ぼくは母の方に顔を向けようとした。でも顔は動かなかった。手を差し伸べようとしたら、その手も動かなかった。

「おかあさん、ぼく体が動かない。」

「心配しなくていいのよ。かならずよくなりますから。」

 母の言葉を受けて、側の男の人が言った。多分ぼくの主治医の先生なのだろう。

「君は大怪我をした。そして緊急の手術が行われた。手術は成功した。完璧に成功したから、かならず君は良くなる。良くなることを保証するよ。でも当分は体を動かすことはできない。今は視線すら動かせないだろう。つらいだろうけれども、必ずなおるから、しばらく我慢するんだよ。半年だ。半年後には、また元の元気な体に戻っているぞ。もっと詳しいことが知りたいだろうけれども、今は疲れるからここまでにしよう。さあ、またしばらくおやすみ」

 ぼくは三たび、長い眠りについた。

最終回へ


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