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わたしだけの虹を追いかけて Over the Rainbow

7月くらいからずっとセクシュアリティのことを考えてたんですがようやっと一段落して気づいたらまた中学生の頃と変わらない結論になりました。一応メモしておきます。

めんどくさいから好きになった人間が好きで構わないでしょうか。

好きも
情報をできる限り集めたい好きと
幸せで生きてくれてるのが力になる好きと
遠くなると胸張り裂ける的好きと
インティマシー高めたい好きと
話を聞いてほしい好きと
いろいろあるし

何もそれを一つにまとめなくても、、、と思います。

一つにまとめた関係性を見つけたとき、それがパートナーになるのでしょうか。

いやいや!!!
パートナーに!!一本化は危険です!!!
やめて!!!

パートナーができようとできまいと
いろんな人に少しずつ依存してくれ!!!

まじでパートナーできたら
友達に心開かなくなるとか
そういうこともないでしょう?!

すきだったアイドルに
ときめかなくなることも
ないでしょう!?

あーー恐ろしい
パートナー至上主義って
息するように出てくる。

あと!!!
別に!!!パートナーいる人は
パートナーに任せとけばいいとかも!!!
全然ない!!!!

まじで!!!個人っていうのは!!!
脆弱!!!!!!

子育てを母に押し付けるのが過重なように!!!
個人をパートナーに押し付けるのも!!!
おかしい!!

いろんな人で!!!
支え合う!!

それすぎるわ
それすぎる!!!!

やっと最近の課題だった
セクシュアルロマンティックモノアモリー
至上主義解体の目途が立った
感じ
(深いため息)

しかしめんどくさいのは
じゃあそうなったときにわたしは

セクシュアルロマンティックモノアモリー
はどういう相手に定めるかっていう問い。

社会的にはシスヘテロ男性だろうけど
なんか別に仲良くないしいいやって軒並み
まるで忙しい年の年賀状のように
切ってしまった。

マリウス葉とかジョンヒョンが珍しすぎる状況だと
ちょっと安心できない。

フェミニストカウンセラーじゃないとキャリア相談すら聞いてもらいたくないと思うのも近いものがある。

じゃあシスヘテ男性以外をパートナーにって言ったら
社会的な冷遇を受けることになってしまうと思うと
それだったら友だちの関係性で付き合った方が良くない?????となるし

しかしそれってヘテロ規範の再生産では???と思うし
(懊悩)

まっっっっったくわからんです。

(小休止)

私個人の精神世界としては
女性の親しい友だちがいれば
それで満ち足りるし

性生活的な意味だと
私が一人いれば十分だし
ていうかそれが一番安全で快適。

ミーハーなときめき的な意味だと
キティ先輩とネプチューン様で満足してしまうので
そうなるとパートナーいらないのでは?(宇宙猫の顔)

でもパートナー作らなきゃっていうこの強迫観念はどこ由来なのか。。。

さっきTwitterで「一人が好きな人が一人のまま幸せになる物語が少ない」という内容が流れてきて、それは確実に影響してるんじゃないだろうかと思いました。おひとりさまばんざいな物語増えてほしい。

ひとりで生きていくライフモデルの不在以外にも、色々と要因がありそう。20代後半になると結婚しろ孫の顔を見せろどうのこうのというプレッシャーがあるとか、それが自分の中に内部化されていたり。孤独死がことさら取り上げられて怖がって終の住みかに一緒に暮らす人がほしいと思ったり。

あとこれは言語化が難しいけど、パートナーを見つけたら「上がり」のような感覚。愛を見つけて良かったねみたいな。これからは二人支え合って生きていこう。それからいつまでも幸せに暮らしました……みたいな。人生ゲームの一イベントを適切な時期に適切な方法で上がろうみたいな感覚だったり(告白して付き合ったらor結婚したら終わる少女漫画に通じるものを感じる)

頭では解体できても意識が変えられるかというとそうスッとはいかないものね。わたしもしあわせな選択肢をたくさん得られるような物語を紡げているのだと信じるよ。

どんなかたちでも
パートナーがいてもいなくても
ヘテロでもヘテロ外であっても
わたしはいつでもわたしでいて。
わたしを大切にできるわたしでいて。

旅に出て(比喩)、結局戻ってきたのは
わたしがよく知るわたしでした。
お帰りなさいmy darling
あなたの前途が輝きますように。

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