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だいすきな身内の罪って深刻にとらえられない

パワハラで糾弾されているが、強い立場なので野放しになっている人の、仕事への考え方とか身近な人とのほのぼのエピソードとか聞いて、一面的ではない魅力の部分に興味を持った。

そんな自分をはたと「いやそれはないでしょ」といさめる声がした。パワハラは身近な人とのあたたかな関係性や、仕事の技術でカバーされるものではないのでは?

そう思いながら、自分の父のことを思い出した。父は病気をするまですごく人に厳しくて、それこそホモソ社会の人気者。時代柄もあるが高校の運動部のパワハラなんかをやっていたということ。会社でも部下への当たりが強かったこと。茶の間では「今(の穏やかな父)じゃ考えられないけど(笑)」と、数々のパワハラの話を聞いた。

でも私にとっては優しくておもしろい父だ。その印象の方が強い。ずっと強い。父を思い出すときに、「パワハラした罪」という部分について出てくることは本当に稀なのだ。それこそこの数年では今回を入れて、2回だけ。もちろん他の文脈で数え切れないほど思い出しているのに。

でも被害者からしたらどうしようもない嫌な人間の印象でしか思い出されないはずだ。むしろ、思い出したくもないはずだ。社会的にも、例えば私がその話を見知らぬ他人として聞いたときだって、パワハラの罪の方で認識されると思う。

私はその状況を頭で想像したりもするが、どうしても父は父だ。これからも私の大好きな優しい父として思い出されるだろう。

大好きな身内の罪というのは、重く認識できないんじゃないかと思った。

このノートも、すぐに消すかもしれない。それほど、きまりが悪いし、つらい。考えたくない。

ハンターxハンターで、キルアが殺したマフィアの娘が、キルアに詰め寄るシーンがある。父が闇の仕事をしていた事実を突きつけられた娘はうそ、と動揺する。視聴者は、わたしは、さかしらに「ふん」と鼻を鳴らす。人は一面的ではない、と。

実のところ私は気楽な視聴者ではなかった。動揺した娘の方だ。パワハラを受けた人が、ダメージをあまり受けずに、受けていても引きずらずに生きていることを身勝手に祈り、それよりもずっと強い感情で、私は父のこと、やさしくておもしろい父のことを、なつかしさで思い出す。

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