見出し画像

【プロマネ】プロジェクトマネジメントの歴史(体系化以前の黎明期 1900年頃~)

プロジェクトの語源はラテン語のProicere(Pro-「前へ」 icere「投げる」)から派生し、「計画する」という意味でつかわれだしたのは15世紀後半からだそうです。有史以来、人々がそれをプロジェクトとして認識していたかどうかは別として、プロジェクトマネジメントはずっと昔からありました。PMBOKの「はじめに」をみると、ギザのピラミッドやオリンピック、万里の長城などが例として使われています。おそらくは非人道的な行為も含んだ、古代的なマネジメントが歴史的な巨大プロジェクトに用いられていたことが想像されます。

こうした人類の歴史や経験を、知識やスキルとして整理したものが、現在のプロジェクトマネジメント体系です。そして、理論化に向けた萌芽が見られるのは1900年頃で、プロジェクトマネジメントのルーツは、そこから1950年ぐらいまでの間に概念として作られていったと考えてよいでしょう。その礎となった人物を3名紹介します。

フレデリック・テイラーの科学的管理法

画像1

最初の人物はフレデリック・テイラー(1856-1915)で、経営学者のピーター・ドラッカーからは「記録された歴史の中で、体系的な観察と研究に値する最初の人物」として紹介されています。テイラー自身は機械工学のエンジニアであり、世界最初の経営コンサルタントと言われることもあります。そのテイラーの「科学的管理法」が、今日に至る物質的な豊かさの向上に多大な貢献をしていると、ドラッカーが著作の中で評価しています。実際に、科学的管理法は、労働者管理の方法論として、現代の経営学、経営管理論や生産管理論に大きな影響を与えています。

それでは、科学的管理法の考え方を紹介します。まずテイラーは「タスク」「ノルマ」として、労働者の作業と仕事量の基準を設定することを、課業の設定としました。具体的には「作業研究」として、労働者の一連の作業を分解し、その作業をストップウォッチを用いて「時間研究」し、それぞれの作業にかかる時間を測定しました。これが、仕事量の基準を作るうえでのインプットになります。

さらに、作業がどうしたら効率よくなるか、熟練工の動きはどんなものかを「動作研究」と呼び、観察しました。この観察から最適化された動作をマニュアル化し、すべての工員に展開することを「作業の標準化」としました。その後、標準化された作業に対してノルマを課し、達成できた工員、できなかった工員で報酬に差をつける「差別出来高給」を取り入れました。また、職長の権能を計画と執行にわけ、勘頼りの管理からの脱却を目指しました。これは「ライン・スタッフ」の源流と言われています。

こうして、テイラーにより初めて、労働による生産性が客観的に評価されるようになりました。さらに、この生産性に対する考え方は、後に品質測定も加わり、リーン、シックスシグマ、トヨタ生産方式などとして発展していきました。これらは「新しい科学的管理法」だと言われることもあります。このようにして、彼の「科学的管理法」は今日のプロジェクトに対するアプローチに影響を与えています。

ガントチャートの生みの親、ヘンリー・ガント

画像2

そして次に名前が出る人物は、ヘンリー・ガント(1861-1919)です。ガントはテイラーに師事をしていました。皆さん、いままで一度でもプロジェクトで仕事をされたことがあれば、「ガントチャート」というスケジュールのチャートを目にしたことがあるのではないかと思います。現在のプロジェクトマネジメントの体系は、ガントチャートの発明から数えられることもあります。ガントチャートは、テイラーと同じく機械工学のエンジニアで、経営コンサルタントでもあったガントの名前を冠しています。

ガントの残した理論やツール、フレームワークは、当然のことながら、タスクの効率化を図るテイラーの影響を色濃く受けています。そこに管理する側からのエッセンスを加えたものがガントの理論といえるかもしれません。例えば、ガントの残したタスク&ボーナスシステムというものがありますが、これは管理者がどれだけ従業員のパフォーマンスを引き出せたかにより、ボーナスを支給する仕組みになります。

そしてガントチャートです。ガントチャートは1910~1915年ごろに設計されたと言われています。今日、ガントの名前が冠されているガントチャートですが、ガントがチャートを作成する以前にも類似するチャートが作成されていたこともあったようです。ただ、体系化し、またそれを公表するというところに価値があるのだとすると、彼の名前がこの先100年後のプロジェクトの現場で呼ばれるに値するものであるというのは、当然のことと思います。

画像3

ガントチャートはガントの死後、1931年に開始したアメリカでのフーバーダム建設プロジェクトで、はじめて大きなプロジェクトでつかわれました。当時から非常にパワフルなツールと評価されていたようですが、初期のガントチャートは紙に書かれており、スケジュール変更が発生すると、全て描き直しになったそうです。そこからガントチャートのバーに、別の紙やブロックが使われるようになり、必要に応じて調整ができるような工夫がされるようになりました。そして現在では、多くの皆さんご存知の通り、Microsoft Projectなどのプロジェクト管理ツールにより利用され、PERT図など派生したバリエーションも生まれ、現代においてもプロジェクトマネジメントを行う上での有効なツールとして活用されています。

経営管理論の始祖、アンリ・ファヨール

画像4

そして最後の人物アンリ・ファヨール(1841-1925)ですが、彼はテイラーやガントがアメリカで活躍したのとほぼ同時期に、フランスにおいて管理原則を確立していきました。

テイラーやガントがコンサルタントであったのに対して、ファヨールは実務家で経営者の顔を持っています。生まれはコンスタンティノープル(今日のイスタンブール)で、フランスに戻った後、鉱山技師としてキャリアをスタートし、鉱山の責任者を経て、1888年にコマンボール社の社長に就任しました。経営者としての彼は社長就任時に倒産寸前と言われた会社を、「増資・社債発行による資金調達」、「企業の合併、買収」、「不採算部門の事業分割、売却」そして「研究開発による事業多角化」など、今日の会社経営にも通じるアプローチを駆使して見事に再生させました。そして1918年に退任するまで30年間社長職を務め、社長退任後も1925年に84歳で没するまで同社の取締役として経営に参画し続けました。

彼の経営者としての経験を踏まえてまとめたものが、主著「産業ならびに一般の管理」です。そこでハイライトしたのはファイナンスやM&A、事業多角化戦略・・ではなく、企業の経営には組織の管理が最も重要ということでした。そしてのその内容の多くが、今日のプロジェクトマネジメントで重要であると考えられていることと、驚くほど一致しています。

ここではファヨールが、管理の一般原則としていた14の原理を紹介します。

• 分業
• 権限の委譲
• 規律
• 命令の統一
• 指揮系統の統一
• 個人利益より全体利益を優先
• 公正な従業員の報酬
• 管理者への権限の集中
• 階層組織(権限と階層の構築)
• 秩序、統制
• 公正
• 安定的な従業員のアサイン
• 創意、イニシアティブ
• チームスピリット

ファヨールはまた、管理には5つのコアとなる機能があると説明し、これもまた現代の我々が認識していることに通じます。

1. 計画
2. 組織
3. 指揮
4. 調整
5. 統制

経営者として生存中に大きな成果をのこしたファヨールですが、経営学理論の世界では、没後に「産業並びに一般の管理」がアメリカで翻訳、出版されて高い評価を受けるようになりました。そしてファヨールはテイラーと並び称されるようになり、経営管理論の始祖の一人として考えられるようになりました。

プロジェクトマネジメントのルーツ

これら3名に代表される人物が、私たちが知っているプロジェクトマネジメントの基礎を築きました。1950年代に入るまでは、いまだに「プロジェクトマネジメント」としては意識されていませんが、1900年代の前半に今日のプロジェクトマネジメントの考え方のベースになる部分が整理されてきたと考えて良いでしょう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?