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「名言との対話」7月11日。ゴローニン「日本人は世界で最も聡明な民族」

ヴァシーリイ・ゴローニンロシア語: Васи́лий Миха́йлович Головни́н, ラテン文字転写: Vasilii Mikhailovich Golovnin、1776年4月19日ユリウス暦4月8日) - 1831年7月11日ユリウス暦6月29日))は、ロシア帝国ロマノフ朝)の海軍軍人探検家学者

1811年、ロシアのディアナ号の艦長ゴロ―ニン大尉は、千島列島南部の測量を命じられて活動中、松前藩の役人に補給をうけたいと申し出たが、捕縛され牢獄に入られてしまった。

副艦長のリコルドは国後沖で高田屋嘉兵衛の観世丸を拿捕し6名の乗組み員を連行した。嘉兵衛による日本側との交渉を経て、ゴロ―ニンは解放された。

高い知性の持ち主だったゴロ―ニンは、ロシアへの帰国後、捕囚生活の手記『日本幽囚記』を1816年に出版し、日本と日本人についても論評した。この本はドイツ語、フランス語、英語などに翻訳されて、信頼すべき日本情報として評価された。ドイツ語版をオランダ語に重訳した『遭厄日本記事』として日本でも出版された。この本は故郷の淡路島に戻っていた高田屋嘉兵衛も読んでいる。明治になって1894年には『日本幽囚実記』として邦訳された。

ゴロ―ニンは捕囚生活を冷静に見つめており、日本人を観察している。そして本の扉に「風習は民族によってさまざまですが、よき振る舞いは、いずこの地でもよし、と承認されることでしょう」という日本人の言葉を紹介するなど、日本人は「世界で最も聡明な民族」と紹介している。高田屋嘉兵衛らとの濃密な接触が念頭にあったのだろう。

このあたりのことは、私は高田屋嘉兵衛を描いた司馬遼太郎菜の花の沖』で詳しく読んでいる。司馬は『日本幽囚記』について、「文学性もあり、記録性もある。世界の財産みたいな本」と評価している。

さて、このゴロ―ニンは1817年から1819年にかけて、カムチャッカ号で世界一周の航海に出ている。1823年には海軍中将に就任している。

ハインリヒ・ハイネは、『日本幽囚記』から日本人が地球上で最も文明化した、最も洗練された民族であると読み取って、日本人になりたいとも書いている。ペリー提督もこの本を読んでいたらしい。幕末から維新という近代において、『日本幽囚記』は日本と日本人のよきイメージを世界に喧伝してくれたのだ。

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