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「名言との対話」10月30日。宮田雅之「気がついたことーー私は自分が完璧に良しとする作品をまだ一枚も切り上げていないこと、だからこれを続けていく事しか人生にないことーー」

宮田 雅之(みやた まさゆき、1926年10月30日 - 1997年1月5日)は、東京都出身の切り絵画家。

1963年谷崎潤一郎「雪後庵夜話」の挿絵を手掛け、挿絵画家としてデビュー。「鋭」と「艶」でかもし出す独自の切り絵を創り出す。「刀勢画」という独創の世界を確立する。サンパウロ美術館、リオデジャネイロ近代美術館他で個展を開催。1980年作品「日本のピエタ」をバチカン近代美術館に収める。この他四天王寺宝物館、トラピスト修道院他に作品が所蔵されている。1984年「谷崎源氏」54帖の切り絵を完成させた。

1994年国連協会世界連盟(WFUNA)から切り絵「赤富士」が国連50周年記念版画のデザインに選ばれ、日本人初の国連公式認定画家になる。1995年中国の北京中央工芸芸術学院客員教授。2000年中国・上海市に刀勢画・宮田雅之芸術記念庁がオープンした。

1枚の紙を1本の刀で切り出していく独特の刀勢画は、研ぎ澄まされた感性の上に躍動する刀の勢いが、大胆・鋭利、繊細・優美な線を織りなす。「切り絵」の概念を一変させた。

切り絵はもともと中国で考案され発展した芸術である。上海図書館内に「刀勢画・宮田雅之芸術記念庁」、中国美術学院内に「宮田雅之刀勢画研究室」が開設されるなど、本家中国においても第一人者として高く評価されている。

作品は国連、ホワイトハウス、バチカン美術館、中国国家迎賓館釣魚台など各国の主要施設に収蔵されている。特にブラジルにおいては、日伯移民70周年記念特別企画として、州立サンパウロ美術館をはじめ各地の美術館を巡り6ヶ月の長期に及ぶ個展を開催。「宮田雅之切り絵の世界・日本」は日系人の郷愁にふれる大きな反響を得た。

「別冊太陽」の『切り絵の世界』を手にした。「刺青」という谷崎潤一郎の挿絵は、背に巨大な女郎蜘蛛の文身(いれずみ)が書かれた悪女になった女を描いた。常に「谷崎先生はどう思うだろう。亡くなったという意識はない」という。尊敬する人の評価に耐えるかどうかを常に意識する。こういう感覚は、芸術家からも聞いたし、また尊敬する上司にも同じ感覚を覚えることがある。

川端康成「雪国」。芥川龍之介「藪の中」。瀬戸内晴美「中世炎上」。泉鏡花「高野聖」。室生犀星「舌を噛み切った女」。森鷗外「雁」。吉行淳之介「砂の上野植物群」。田村泰次郎「肉体の門」。吉川英治。山田風太郎。「三国志」「水滸伝」「史記」、「西遊記」も死ぬまでには、100枚くらいになるだろうが、取り組みたいと語る。「万葉集」「源氏物語」「おくのほそ道」「竹取物語」「八犬伝」、、。

「最後まで一本の刀で作品全部を切り上げてしまう。刀勢というリズムがあるから」。

宮田は音楽を流しながらの作業を行う。疲れた時には重厚なブラームス、マーラーを聴きたくなるそうだ。

宮田雅之は弟子はとらない主義を貫いている。「自分が独学なもんだから、教え方がわからないんです」。40代半ばにサンパウロ美術館のバルジ博士は「この絵にはオーソドックスな美術教育を受けていないおもしろさがある」といい応援した。宮田が影響を受けたのは挿絵画家の小村雪たいとビアズレーの絵である。独学の面白さと強みを感じさせる逸話である。宮田にして完璧な作品はないという。こういう言葉は富士の写真をを撮り続けた岡田紅陽なども言っている。小説の林真理子もそうだ。私にもそういう感覚があることを白状しよう。

宮田雅之は「切り絵」という宮田独特の刀で、日本の同時代の作品、歴史的作品、中国の古典などを総なめのにしようとしている。芸術の多くの分野のトップがかならず試みる道である。「西遊記」は完成したのだろうか、気になるところだ。

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