「名言との対話」7月19日。佐藤陽子「女は恋をしてキラキラ輝いているときが最高。女は激しく恋をし、絶頂感を味わう、その起伏なくして何の楽しみがあろう」
佐藤 陽子(さとう ようこ、1949年(昭和24年)10月14日 - 2022年(令和4年)7月19日)は、日本人ヴァイオリニスト、声楽家、エッセイスト。享年72。
福島市出身。ソ連の給費留学生としてモスクワ音楽院附属音楽学校に留学。ヴァイオリンでチャイコフスキー国際コンクールなどで入賞し、1971年にはモスクワ音楽院を首席で卒業した。マリア・カラズ声楽の才能を認められ唯一の弟子となり、1975年にルーマニアのブカレスト国立歌劇場で「蝶々夫人」でデビュー。
1976年に帰国。24歳で外交官の岡本行夫と結婚。池田満寿夫と出会い、1979年に岡本と離婚し、池田のパートナーとなる。1982年からは熱海に居住。熱海の「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」は、訪問したこともある。
広報の仕事をしていた1980年代後半のバブルの真っ最中に世界の腕のいいシェフを招いてのグルメ料理の会があり、会社の担当として出席した。私が座ったテーブルには、池田満寿夫と佐藤陽子夫妻、そして岡本太郎がいた。岡本太郎はもうかなりの年配だった。酒を飲んでいたが、目はらんらんとしていた。一緒にトイレに向かう途中で、大学時代に本を読んだ話しをしたが、酔っ払っていてよくわかっていないようだった。佐藤陽子が「センセー、センセー」と呼んでいたのが今でも印象に残っている。
さて、池田満寿夫・佐藤陽子『こういう女ならすべて失ってもいい』を読んだ。有名なおしどり夫婦が「愛」を語り合った本である。
かぐわしい20代は、10代の積み重ねがそうさせるのだし、充実した30代は、20代で何をやるかにかかっていると思う。40代のためには30代で補充しておく。一生が勉強、積み重ねなのだ。
私の恋人はみんなステキだったかも知れないが、真の詩人は満寿夫一人だった。
再婚はしたいとは思いません。結婚というのは、身に降りかかってくる災難ですからね。
池田は佐藤陽子を男を盛り立てていく、そして刺激的な「魅力的な悪女」という。「女は恋をしてキラキラ輝いているときが最高。女は激しく恋をし、絶頂感を味わう、その起伏なくして何の楽しみがあろう」という佐藤陽子は、池田という男はエロスの塊のような男であり油断がならないといいながら、満寿夫にとって最高のおんなとして生きた。それが「こういう女ならすべて失ってもいい」というタイトルに結実したのだろう。
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