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4月19日。 飯田善國「彫刻は主体と宇宙とを繋ぐものだ」

飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。

少年時代に従兄から油絵具をもらい、絵画に熱中する。慶應義塾に進み、学徒出陣。帰還後は東京芸大に入学し、憧れの梅原龍三郎に学ぶ。画家を目指して渡欧した飯田は、イタリアの彫刻家・ファッチーニに学ぶ。1958年、ヴェネツィア・ビエンナーレでヴォルスの大回顧展を見て、「画家として自分がやろうとしていたことがすでに解決済みだった」という衝撃的な体験を受け、絵画を断念する。その後ミュンヘンでヘンリー・ムーアの大回顧展をみて衝撃を受ける。「ムアの世界は、一度絶望を知った人間の眼で見直された人生の風景とも呼ぶべきもので、絶望を内に匿し持っている人間が内部の絶望と折り合いをつけながら自覚的に生きる技術を身につけようとする固い意志によって造形されている」。そして飯田は彫刻の世界へ入っていく。

帰国後は木やブロンズ、ステンレス、さらに彩色を施したロープなどを組み合わせ抽象造形を展開している。1970年代半ばには東京都町田市に住居とアトリエを設けた。町田市芹ヶ谷公園の子どもたちの水浴び場になっている《彫刻噴水・シーソー(虹と水の広場)》は飯田の作品である。1983年から1989年には法政大学工学部建築画家の教授をつとめた。

飯田は野外彫刻公共彫刻展で数多く入賞を果たした。結果としてパブリック・アートと呼ばれる公共彫刻は40点以上にのぼっている。飯田は美術評論でもある。そして『ナンシーの鎧』、『見知らぬ町で』、『ネミ湖にて』など詩集を3冊出している詩人でもあった。また、詩画集『クロマトポイエマ』は、西脇順三郎の英文詩にスクリーンプリントを添えた作品、版画集『M.M.曲面シンドローム』は、マリリン・モンローをテーマとした作品などもある。飯田の常設美術館「TRIAD IID・KAN」はハーモニック・ドライブ・システムズ安曇野工場敷地内にある。

飯田は真摯にやるべきことを追求した結果、境界をまたぐクロスオーバー・アーティストとなった。岩波新書『彫刻家 創造への出発』では、若い時代の画家から彫刻家への転向の過程での苦悩や鬱屈、苦闘が記されている。青春の彷徨の書だ。飯田善國にとって、彫刻は宇宙とつながる道だったのである。

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